プリミティブな感覚から生み出されてきた術は 言語を越えて交換できる。
美術家、京都市立芸術大学教授 小山田 徹さんとの対話
『アーティストはいつの時代も、その全身、その人生を使って、社会の感受性として生きている。彼ら/彼女らが感受した社会の閉塞感や歪み、希望や可能性が、私たちに共有された時、それは次の世界への入口になる。そう思っている。そのアートの最前線を駆け抜けた人が辿り着いた景色から本誌をはじめたいと願って、私たちは小山田徹さんに会いに行った。
パフォーミングアーツの先駆けであり世界のアートシーンに大きな影響を与えたダムタイプのメンバーとして、またコミュニティセンター「アートスケープ」「ウィークエンドカフェ」など様々な共有空間の開発を通して、そして震災後の宮城県牡鹿郡女川町での女川常夜灯「迎え火プロジェクト」を続けるなかで、彼が感受している創造性のこれから。その共有から『PLAY ON」をはじめます。
PHOTO BY Hirohiko Koyamada
小さな灯を囲み語らう女川常夜灯「迎え火プロジェクト」の様子。
桜井
今、見渡せばこの京都に、僕たちがあたらしい創造的実践の意味へとシフトできないかと思っている「芸術」を実践している方が結構いらっしゃる。例えば、お出汁屋さんとか、八百屋さんとか、農家さんとか、そういう人を取り上げていきながら、芸術という言葉をもっとオープンなフィールドを表す言葉にしたいというのが、この「PLAY ON」とう企画なんです。
熊倉
2年ほど前に、今回もインタビューした桶職人の中川周士さんの工房を訪ねたことがありました。彼が作っているものは、いわゆる「工芸」ともちがう、かと言って「現代アート」でもない「なにか」。そして中川さんだけじゃなくて、京都にそういう人が他にもいるっていうことがだんだんわかってきた。我々はそれを従来の「芸術」という概念をうより拡張して「藝術2.0」あるいは(海外に向けては)「GEIJUTSU」として呼びたいと思っています。
桜井
そこで気になっていたのが女川の焚き火プロジェクトなんです。とても「藝術2.0」的だと感じています。というのは、まず作者という存在がとても曖昧になっている。かつ、地域の方々から100年先まで続いたらいいという言葉が出てきた。すると、作者一人の一生涯の創造性の発露でもあった芸術表現の時間軸も曖昧になっている。僕は自分が思う芸術が体現できるようになったなと実感できたのは、森をつくるようになってからなんですね。「持続可能な森林」という言葉のもとに檜、杉、松しかない林業的な森を継続するのはおかしいだろう、と100ヘクタールぐらいの森とその懐に広がる暮らしを対象に、子どもたちを中心に地域の人たちと一緒に森と関わる時間をつくっています。林業や農業、加工業や観光業、という言葉それぞれがもつ「業」同士の境界をぐちゃっとして、ただの山の暮らしにしてみたいなと。そこでは、地域の神社さんにお願いして、例えば、子どもたちが無農薬で育てたお米を奉納させてもらったりとか、何かと神事やお祭りにしていくことを意識しています。50年後にはおそらく誰がはじめたかもわかんないようなものごとを目指した方が、その方が続くかなと。そのなかで森も里も変わっていくわけですが、地域の人は誰一人として芸術しているとは思っていないと思うんですが、僕のなかではかなり芸術しているつもりでやっています。それは女川のプロジェクトと通ずるものがある気がしています。作家性や時間軸などがオープンに開いている作品を、どんな感覚でやってらっしゃるのかな、というところから話が始められたら嬉しいです。
小山田
焚き火って、100万年以上前から人類は毎晩焚いてきて、その有効性は遺伝子化されてるぐらいのもんなんだと思うんだよね。だから誰が発案したとか、誰がカルティベートしてそういう状態にした、とかではなく、僕らの中に染み込んでいる技術と感覚やと思う。だけど、そういうものができなくなる不全の状態が、この40年間くらいある。急激にどこでも焚き火ができない。街中でも、消防がOKしても、ご近所がOKしないのでできない、とか。それを、不全だと気づいたところがアーティストの感覚なんだと思うですよね。そして、その不全が取り除けたら、それは「アート」じゃないから。
小山田
だから、その不全を取り除くための行為が「アート」だとしたら、自分のなかでは矛盾なくできる感じがある。そして例えば、それを取り除くために、「アート」っていう名前を使って説得すると、なぜか酒まで飲めちゃうっていう、笑。もしくは、それが続くためには、先ほど言われたように神事のような、スピリチュアルな習慣なものをかぶせてみると、妙な持続感が出たりとか、ある種の特別な意味を帯びる。神事をかぶせると面白いのは、そこでやっている焚き火が、自分たちの喜びだけではなくなるんですよね。ほかとの関係とか、何かに捧げるとか、何かを呼ぶとか、そういう感覚と繋がっていくっていう効果がある。本来はそういうことを人類は開発していたはずなんです。でも、不全になった。だからなんとか不全じゃない状態に戻したいっていうところに、たまたま「アート」っていうのを使ってみた。ゼロからクリエイトした感じは全くないよね。だからこそ、地元の方も、もともと焚き火の歓びを知っているし、震災直後からそれで生き抜いたっていう記憶もある。それが仮設住宅になって復興住宅ができつつあって、まちが復興してくると、焚き火ができない。会議をするにも、今まで焚き火のまわりで勝手に始まってたのに、会議室にみんな呼ばなあかん、しかも代表者を。焚き火ができない、という不全に気づいているわけです。だから、それが不全でない状態をもう一度獲得できるための最低限の方法を探したら、僕も地元の方々もお互いにそこに行き着いたって感じなんですよ。
熊倉
小山田さんはだいぶ前から「美術家」って名乗っているわけだけど、「芸術」と「アート」と「美術」っていう言葉を使い分けてます?或いは、小山田さんにとっての「美術」の「美」って何なんだろう?女川の焚き火も、小山田さん独特のテイストが込められていると思うんだけど、それはどこから来てるんでしょう。
小山田
今も一応「美術家」と名乗ってる。それはたぶん「美術」っていうものが、僕にとっては「技術」というものに1番近いような気がしているから。ものの関係性をつくったり、何かと何かの間にあるものをコーディネートしたりデザインしたりする感覚と近いかな。内的なある情感やイメージの発露っていうことをするのが「美術」ではなくて、なにかの間にあるものをさわることによって、新しい価値観や回路をつくるのが「美術」かなと思ってる。僕がやりたい、もしくは積極的に意識しているのは、そういう「美術」かなと。だから焚き火場を開くときも、ロケハンから始まり、ちょっとした距離とか、ベンチの置き方とか、火の大きさの具合とか、受付の方向とかね、細かいところなんやけど大切で。そして、そういうところはなかなか説明し得ない。こだわりと、ある種の勘になってる感覚がある気がする。それはデザイナーといってもいいのかもしれないけど、でもその部分は繰り返し同じことが行われるようなものに落とし込めない。その瞬間瞬間でアタッチしないといけない感じっていうのが「美術」の部分で、申し訳ないけどそこの部分はたしかに僕以外の人とはテイストが違ってくるやろな。だからノウハウにならないんですよ。でもそこのところが一番重要なポイントかなと思う。
熊倉
小山田さんと最初に会ったのは90年代の前半で、ちょうど小山田さんがダムタイプにいて「S/N」っていう特異な作品をつくっていた時期でした。ステージだけじゃなくて「ウィークエンドカフェ」や「アートスケープ」っていう場作りもやられていた。あの頃は小山田さんだけでなく、アートのエッジで活動していた人たちがいて、「アートをやめよう」という人も出てきていた。小山田さんはそういう経験を経た後、ソロで活動するようになるわけだけど、今振り返って90年代のことはどう見えるんでしょうか。
小山田
90年代は、ダムタイプをやっていたっていうのがあって、まわりの人はみんな「美術家」って呼ぶんですよ。「パフォーマンスアーティスト」、「美術をやっている人たち」って。でも、エイズにまつわる様々な活動をしていくなかで、アートの欺瞞とか、そういうのをみんなで話し始めて、積極的にアートであることを否定してみたり、外してみたり、コミュニティカフェをつくってみたりと、逆にすごく意識してアートから外れようとしていた感じがあるのね。でも、外れようとする行為こそが、そのときはアートになって、笑、「めんどくさいなー」とか思って。そのあとソロをやって、食うていくために大工になるわけですよ。いろんな内装工事をやったりとか。食うていくために、朝起きたら「今日の私の職業」っていうのを作り出して、日雇いでも、なんでもやっていく状態のなか、人が集まる場所をつくることに関わるような形で、なんとか活動をしてた。でも、そういうことをするようになってからのほうが、俺もうアートから離れて大工をやってるのに、まわりの人がその現場を見たら「アーティストがやっている」と見えている。だから、いちいち反論するのが面倒くさくなって、それを甘んじて受けて、利用する感じになったらすごい気が楽になった。他者が編んでくれた言葉を引き受けて、自分の言葉に変えたりとか、ちょっとも整理ができて。ことさら自分から「美術」と呼ばなくても、勝手にだれかが「美術」と呼んでくれるっていう並行ラインがあるので、すごく動きが楽になった感じがあった。
桜井
今お話があったような90年代からの変遷を経た「美術家」は、今、京都市立芸術大学の教授でもあるわけですよね。今、大学に入学する学生には、四年間をかけて何を掴んでほしいって思いますか?
小山田
課題を自分で考える、自分で解決を試みる子になってほしいんですよ。最近の子はおりこうさんで、与えられる課題にはきっちり答えるんですよ。でも「今日から自由ですよ」っていうと、自由が1番怖いタイプ。美術や芸術の世界って、一生かけて自分で課題をみつけて、それを解決もしくは解決しない方法を編み出す行為だと思う。そういう人々がたくさんいてほしい。だから、自分で学ぶところは自分でつくろうかとか、そういうところから始めるしかないよな、と。どんな授業がしてほしいっていうのを一緒に考える、だからシラバスが1番苦手なんです、笑。
桜井
今の問いの裏側にあったのは、ジェフ・クーンズとか所謂「コンテンポラリーアート」と思うものをやりたくて入学する学生に出会ったとき、日本のアートの先端を歩んできた小山田さんがなんて言うのかな、ということです。今ここで共有しているようなアートと、学生が入学時に携えてくる価値観としてできているアートは違うと思うんです。
小山田
メインストリームをみてやってくるっていうことね。
桜井
小山田さんは、それをどうやってほぐそうとするのか、どう対峙するのか。
小山田
学生たちは結構よく喋るんですよ、もぞもぞもぞもぞと。授業の多くを焚き火の前でやるようにしているんだけど、そういうところで「なぜクーンズが好きなの?」と訊いても誰も答えられないんですよ。本当に好きなものとか、気になってるものとか、今悩んでることとか、そういうのを訊くと、守秘義務のある話に変わっていくんです。家の問題やジェンダーの問題とか。身近な問題を一緒に考えるっていう時間を持ち始めると、目的のビジョンが吹っ飛んで行って、自分がこれからやろうとしていたレールがぐちゃぐちゃであることがわかってくる。それを1年くらいじっくりとやると、変わってくれる子も多いかな。もちろんうちの大学
あとで絶対に思い知ることになるだけど、学生時代もしくは卒業後すぐに、所謂デビューというのをして、美術のお仕事を頂いて、やっていけるようになるのって1000人に1人とかじゃないですか。でも、そうじゃないサンプルっていうのが99%いて、その中に一生かけて表現について付かず離れずで追求している先輩たちがいくらでもいる。しかもいろんな生き方を編み出してるんですよ。そういう先輩たちをできるだけ知ってほしいというのがあって、一般的には就職活動に役立つことをするキャリアデザイン教育のなかで、サバイバルの生き方の多様なサンプルとして先輩たちを呼んできて、「10年後の京芸生」っていう企画をやってもらったりとかね。本当に千差万別の生き方やし、きっかけなんていろんな形で訪れてる。講師に来てもらったからといって、目に見えるような成功をしている人じゃないんですよ。でも、生きてる。しかも子どもまでつくって、家族もできて、しっかりと生き延びている。そういう人々の強さを感じてほしいなというのが、最近の大きな感覚かな。
熊倉
就職活動やキャリアデザインだけじゃなくて、芸大全体の教えることが、我々が「藝術2.0」と呼んでいるようなものへと拡張していくってことだね。
小山田
拡張していく。まぁ、学長の鷲田さん自身がそういうタイプの方、臨床なんて千差万別だから理論にならない、と言っておられるようなタイプの方なので。旧来のカテゴリーっていうのは越境するために残しておいてもいいんだけど、越境する、もしくは横断することが可能な大学をつくっておかないと、これからの世の中に大きな変化があった時に新しい提案ができる人々がいなくなる。社会のニーズに応えるだけの大学、即効性のある有効な手段や目に見えるかたちで成果が出るものを求められてそれに応えるだけの大学では、たぶん社会の体力の根源にはならないと思う。だから「変な人たちがいていいよね」、「既存のシステムにはまらなくてもいいよね」という隙間を大学がどれだけ保てるかが大切だと思う。どんな変化がおこるかわからないからこそ、多様な人々がいたほうがいい。そうでなければ、大きな社会変化があった時に対応できないんじゃないかと。美術や芸術っていうのは、そういう多様性をつくるためには、大きく関与できる分野かな。文学とか、一見「なんの役に立つかわからへん」と言われている分野こそが、本当は「はみ出す人々」を作り出す、社会の酵素の役割をしてると思うんだよね。大学とかいろんな社会の組織っていうのが、細胞・組織・器官っていうものだけつくって、酵素をつくってない。たぶん美術家とか、「変な人」って呼ばれる人は、社会の消化酵素みたいなもんちゃうかと思う。反応を促す組織だけができてもな。
桜井
1番はじめにお話があった社会の不全に着目できる人も、今の社会の酵素である人も、つまりは、既存の価値観に捉われない感受性をずっと保ち続けられる人のことだと思うんですけど、先ほどの話にあったアートのメインストリームの人たちは、その感受性を発揮しているのだろうか。
小山田
たぶん私生活のなかでは発揮している、と信じたいけどね。でも経済とか美術っていう制度とか、メディアが支配しているものとか、そういう大きな制度的なものの磁場が強すぎて、そんなにスピンロールできないんじゃないかなと思うよね。
桜井
高度消費社会の中では、なにかの前兆が出てくると、まずネーミングが与えられるんですよ。言葉が捉えるっていうか。たとえば「コミュニティなんとか」とか、「ソーシャルイノベーション」とか、「ソーシャルアート」とか、「ソーシャリーエンゲージドアート」とか。そういう言葉がつけられた瞬間から、脱出をはじめるっていうことの繰り返しでしか、消費社会と戦う術がないんですよ、きっと。消費社会は、たぶん意思を持たないし、聞く耳を持たないんでね、残念やけど議論ができないんですよ。だから、なにかを始めてうまくいってるんだけど、みんなが気づきはじめて飲み込まれそうだなと思った時には、ずらしはじめないといけない。自然と付き合ってると、自然のほうが毎年ちょっとずつ変わっていく。毎年同じことがない。だから、そういうものと対峙していくっていう感覚だと、知らないうちに自分も変化していく。でも、高度消費社会では、注文したときと、ものを受け取るときの自分が、違ってたらダメなんですよ。それでは困るよね、笑。でも僕らが対話としてやりたいのは、変わる人。話しはじめて話し終わったときには、対話を通じて変わっている自分を目指しているはずなんですよ。対話って本当はそういうもんだと思う。だけど、消費の世界では、個人は変わってはいけない。人間はたぶん、変わらないでいようとする性質があるっていうことを、昔からみんな薄々気づいていて、だから自然の中で生きてたんだと思うんよ。それとの縁が切れた瞬間にどんどん過剰化していく。グレードを上げたくなる、そういう変わり方。引き算とか許容しない。
熊倉
昔、ヘルベルト・マルクーゼが、タナトス(死)とエロス(生)ということで人間の文明を語っていた。エロス(生)が絶えず変化するものだとすれば、その中にあってタナトス(死)とは、変化しない同一のもの。記号とか情報と呼ばれているもの。例えば「犬」っていう言葉が、明日「犬」じゃないものを指したら困る。あるいは、1万円札が、明日千円だったら困るわけで、基本的に、言語や貨幣っていう記号的なものは、変わらないものなんだよね。人類は生物でありながらも、そういう不変で同一のものを生み出していろんなシステムをつくったり、コミュニケーションしたりしてきた。それがものすごく膨張してしまって、エロス的なものを抑圧している のが、ヨーロッパの近代社会だという捉え方をマルクーゼはした。結局、高度消費社会というのは、タナトスが過剰に膨張して、マインドからボディまで染み渡ってしまっている状態のこと。そこにエロスを再び持ち込み、タナトスの専横と闘うのが、いい意味での芸術家だと思う。
小山田
歴代の先輩たちはそれを生き抜いてきた。だから僕らがいると思うと、途切らしたらいかんよね。戦争とか、不可避的な圧力と流れみたいなものに抗しようと、相当大変な思いをした先輩方がたくさんいると思うのね。まさに命を張って。でも、今の消費社会の圧力は、戦争と同じくらいの強さを持ってみんなを支配してるし、流してると思う。でも、その抗の仕方っていうのが、なかなか決定打がでないというか、離脱していくしか方法がなかったりするくらい。だけど、日々は進んでいくし、子どもは育っていくし、というのを考えると、もう手練手管に抗うしかないんや。子どものまわりに大人がつくりだしたことが流れ込んできて、ものすごい強い支配を与えているし、情報も浴びるように入ってくるし、そういうものと日々、どう対峙して、良き方向のなにかに、お互い向かっていこうかっていうのは、ほんまに工夫が必要なんやね。フルスウィングで、これまで培ったアートのメソッドを、それぞれの子どもと分ち合えるかたちに翻訳をして何かをやっている感じ。今、私の最大の仕事はそれかな。日々フルスウィングでやってるのは、子どもたちとの向き合い方。自分の子どももそうやし、ここは地域の子どもたちが50人くらい出入りする場所で、一人ひとりとどう対峙していくかとか。すっごいやりがいがあるんですよ。教えられる事も多いし。美術の世界なんて屁みたいもの。そこで起こっている化学反応を見てると「あ!今この子、ちょっと開いた」とか。決してワークショップでは得られない、日々の繰り返しの中のいろんなことがある。
熊倉
僕は東日本大震災以降、日本がすごく二極化している感じがしています。震災のせいで(自分を含めて)東京に住んでいた人もかなり移住したし、京都にもかなりの数の移住者がいる。そういう人たちって、いわゆるアーティストでなくても高度消費社会の欺瞞をまざまざと経験して、高度消費社会そのものから降りようとしたんだと思う。だけど一方で、そのまま残った人も圧倒的に多い。その二極化。とはいえ、今、高度消費社会から降りようとしている人口は、20年くらい前に比べればすごく増えてる感じがする。社会全体の1%でもそういう意識を持つ人がいると、日本全体ががらがらっと変わるんじゃないだろうか。今はまさにそういう時期のような気がするんだけど。
小山田
各地で、特に地方に行けば行くほど、新たな活動をはじめている人はいるね。良き人々に出会う。気持ちいい。付き合いも長くなる。
福岡県八女市黒木町笠原地区の山村塾っていう、古い小学校小学校の校舎を使ってNPOが運営しているものがまさにそう。5年前に大水害があって、この小学校がボランティア拠点とかいろんな地域拠点になって、それで今に至るんやけど、やっている活動がすばらしいんですよ。単純に農業をやってるだけなんです。国際ボランティアっていう人々が送り込まれてきては80日間滞在してみんなのお手伝いをするのをコーディネートしたり、地域の子どもたちが遊びに来たりする場所なんやけど、主目的っていうのは農業なんよ、労働。そして、たまたま不登校の子がきたら、元気になって帰ってくるっていう効果が現れる。外国人が来たら、日本の文化が楽しくなって、また次のところへ行くっていう。いろいろなすごい効果が現れるんだけど、主目的は農業で、労働をすることだけ。そういうものの方が実はうまくいんじゃないか。問題を解決するために、不登校の子が集まる場所を作って「不登校を解決しましょう」っていう取り組みをしても、うまくいかないんですよ、なかなか。でも、主目的が別にあって、たまたまそれにちょっと関わる。そういうのは効果がある。彼らも、労働、自然と関わる仕事が主目的だからこそ結果効果があるっていうことがよくわかっていて、決して「不登校を受け入れます」とか、そういうのを目的にはしないんですね。そういうことを気づき始めている人たちがちゃんといる。
生活していくためには労働が不可欠であると、特に自然労働。そういう場をどんだけ自分たちのなかにつくれるかはこれからの大きな課題よね。
熊倉
そこに新しい芸大だけじゃない、大学の存在理由みたいなものがあるような気がしている。
小山田
法然院の梶田さんと喋っていると「掃除をすることが基本の生活なんや」と。法然院は修行の寺やから、みんな掃除してるんですよ。それをやっているから、学ぶべきものがたくさんあって、宗教の教えっていうのをことさらやらなくても。「掃除がなかったらだめだ」って言ってて、それは掃除が主目的。それを代々続けているっていう。
家庭内労働が、だいぶ減ってきているじゃないですか。役割分担もはっきりしてきて、子どもの仕事はなにかっていうと勉強っていうことになってるやん。かわいそうよね。まず家庭内労働を家庭のなかからどんどん増やしていくっていう方法、しかもそれを楽しく増やす方法を編み出す、ということ。それができたら、地域社会のなかで労働が増えていく。そのときに呼ぶ「労働」は対価ではない。そういう革命のやり方しかないんかなぁ。
桜井
昨日「藝術2.0はなにか?」ということを公開で議論する場をやらせていただいたんですけど、そこに仏像の彫り師の方が来られていて、無心で彫っているなかで出てきちゃう個性という話をしていました。西洋近代的な個性の発露と、仏教的な価値観の中での個人を消そうとすればするほど出てきちゃう個性みたいなものの差をすごい感じたんです。主目的が「掃除である」構造とは、武道や茶道と一緒で「型」が決まっていて、型をすることでそれでも出てくる何かを発見することに意味があるっていうことですかね。そのなかで見出される体の動き方だったり、自分自身の発見であったり、型を発明して参画することで出てきちゃう個性みたいなことが、最初に女川の焚き火プロジェクトの話から言っていたことにつながるように感じました。100年後に誰かとやっているであろう「型」はすでに発明されていて、100年後に「姿」が違うことは許容している。そういうことが今、僕らが「藝術2.0」という言葉で言おうとしていることなのかもしれない。
熊倉
例えば19世紀のヨーロッパのアーティストって、精神的な探求をすごく深いところまで行うけれど、なぜか身体がボロボロになっていく人が多いんです。他方で、日本も含めて東洋の探求は、精神的にも深まるけれど、身体的経験も深まるんです。その違いはどこから来るのか。「呼吸」の扱い方なんです。武道でも、瞑想でも、東洋の探求は呼吸が基本。呼吸は精神と身体を繋ぐ半自律的活動で、それを通して、精神と身体の探求が融合する。ところが、西洋の探求は、呼吸には無関心。よって、精神の探求が深まるほど、身体はボロボロになっていく。その一番の原因はキリスト教的な文化にある。日本人のスピリチュアリティは、自然のなかにスピリットを感じるけど、キリスト教の神は「上」にいる超越神なので、それへと精神的に昇華していくには肉体が邪魔になるわけです。そうした精神構造は、19世紀末に「神は死んだ」と宣言された後でも残ってしまっている。我々が今探求している「藝術2.0」は、肉体を滅ぼすとか、自然を陵辱するようなものじゃなくて、自分の精神的な探求は同時に自然との関係性の探求でもあって、そのなかで美しいものがうまれてくる…。さっきの彫り師もそういう探求をしていると思う。
桜井
そういう感覚で生まれてくる美しい瞬間は必ずあると思うし、それを美しく愛でれる文化性も日本人は持っていると思うんですけど、それを海外の人へ伝えるときに「ART」と呼んだらぐちゃぐちゃになっちゃうから、ローマ字で「GEIJUTSU」って言ったほうがいいんじゃないかって僕らは思いはじめた。言葉を与えるべきかどうかも含めて、どう思いますか?
小山田
西洋で発達してきた「ART」を使う人たちの一群というのと、ヨーロッパや他の国々にもフリンジというか、自然と付き合いながら生活してきた人々はたくさんいて、そういうところの人々が行っている日々の所作であったり、作業であったり、生産しているものは似通ったものがあるような気がするんですよ。手仕事って呼ばれる世界であったり、自然を愛でる、もしくは自然と付き合う方法論であったりとか。そういうものと発達してきた「美術」、「ART」の世界の思想とか言論とは、やっぱり乖離しているよね。でもその意味で、みなさんが言おうとしている「藝術2.0」っていう世界観は海外にも多様にあるんだと思う。日本の特異な点もあると思うけど、根っこのところで通底する部分っていうのは世界中にあるような気がして、それは今までも見つけているような気がする。
桜井
発見してみたいですね。これまでの西洋から「ART」に取り込まれていくのとは別のレイヤーで、逆に日本から「これもGEIJUTSU、これもGEIJUTSU」とGEIJUTSUを探しに行きたい。少なくとも同じ気候圏であるアジアにもいっぱいあると思う。
小山田
たぶんそのときに「ART」っていう言葉は面倒臭さを呼ぶよね、笑。違う言葉、ローマ字の「GEIJUTSU」とか、「BIJUTSU」とか使ってもいいかもしれないと思う。
子どもたちは違う国の子ども同士で出会っても、言葉じゃなく遊べてるんですけどね。「あー」とか言いながら。それと同じようなことがある気がするんだけど、どこかに。プリミティブな面であったりとか、アニミズム的なある種の感覚であったりとか、自然に対する畏怖の念とか。そういうのは、多分言葉なしでも何か共有できる。そういうなかから生み出されてきた技術っていうのは多分交換可能なものであるかなぁと思う。ただ、価値観を話すっていうのはたしかに難しいですわ。言語として。でも、幸いにも人類がつくりだしてきた「もの」っていうものがあるから。そういう「もの」は、僕らも見たらわかるじゃないですか。「この彫りすごいな」とか。
桜井
そう、「京都ではこんなに発見できました、みなさんの都市はどうですか?」ということを、国内外にやりに行こうかなと思っています。