ユーモアを携えたギリギリアウトが境界線を解く
木ノ戸 昌幸さんへのインタビュー
人はなぜ笑うのかを調べてみると「緊張と緩和」「概念と実態のズレ」「期待と現実の不一致」など多くの哲学者の言葉が並ぶ。自身の実経験を考えてみても、笑いには、ある一定の想定が肯定感ととも裏切られる感覚が含まれるように思う。想定内はもちろん、圧倒的想定外でも笑いは起こらない。想定外から想定内へ変化を許すあらたな許容、が笑いには必要なように思う。
木ノ戸昌幸さんの著書を読んだとき、彼はその想定の内外のラインの上で遊べる人だと感じた。その視座から、彼が主宰するNPO法人スウィングで、障害がある人もない人も一緒になって行われる様々な試みを捉えると、常識と非常識、善と悪、美と醜など、2つに区別されるさまざまな概念の境界を遊んでいるように見える。もちろんそれは、障害の〈ある〉〈なし〉の境界線を射程に入れてのことだろうという思いを抱きながら、上賀茂にあるスウィングの活動拠点を訪ねた。
いわゆる芸術、それ以上に芸術的な活動をしている人を前景化する。それがこの企画です。「ART」とは違う地平が見えてくるという仮説があります。
僕も、表現とかアートというものを「作品」ありきという前提でカテゴライズしてしまうと、たぶん社会包摂なんていうことは無理だと思っています。アートというものを、狭義のアートで捉えずに、もっと自由なものであれるように、これからも伝え続けようと思っているところです。
インタビューを続けてきて確信に変わりつつあることは、世の中の価値観に合わせて動くことよりも、自分が歓びを感じる方向で進んきたうちにいつのまにか後ろに道ができていた、みたいなことがあります。
僕らもそうですね。たいしたことも考えずにスウィングをはじめたんです。今となっては、目に見える実践がいろいろ生まれています。でも、最初はそんなつもりじゃなかったことばかり。何も決めずにはじめたんです。
スウィングはどういうふうにはじまったんですか?
僕は、このスウィングを立ち上げる前に、違う福祉施設に2年半勤めていました。そこで、すごくつまらないと感じた。その現場も、この業界のあり方自体もすごくつまらない、と。同時に、すごくもったいないとも感じたんです。その想いだけです、「もったいないなぁ」と。
なにが「もったいないなぁ」と?
なにかできそうな感じ、が。その福祉施設では京都の和菓子の箱の下請け的な仕事をしていました。それはそれでいい仕事だと思います。でも「なぜこんなおもろい人たちが、こんな社会の片隅で、こんな暗いところで生きてるんだろう」という思いは、やっぱりありました。
福祉の領域に進んだ理由は?
僕は中学生くらいの時から、いわゆる主流の社会から挫折をしてました。効率であるとか、高い賃金とか、そういうものに興味を失わざるを得ない状況がありました。だから仕事を自分で決めるという時も、なかなか価値基準が見つからなかったんです。そんな時に「毎日笑える」と聞いた。その一言に飛びついたんです。「笑えるならいいなぁ」と思って。お給料とか、将来設計とか、全く計算してないですね。
「笑える」という価値だけを頼りに進めた理由は?
僕はこの社会の中で「良し」とされる価値基準に合い過ぎたんです。勉強ができたりとか、運動ができたりとか。今はあの時の自分のことを「過剰適応」と言っていますけど。小学校時代くらいから学校に行きにくさを感じはじめた。適応し過ぎていたから、おそらく傍目から見るとその理由は全く分からなかったと思います。でもだからこそ、「100点取れなかったらどうしよう」とか、「級長に選ばれなかったらどうしよう」とか、そういうつまんないことを考えはじめていました。やがて、身体も拒否するくらいになってた。そういう我が身を通して「この社会はなんなんだろう」ということをずっと感じてきましたね。
木ノ戸さんがこれまで歩んできた道を振り返ってみて、「起点」だったと思うのはどういう時ですか?
学校時代にいろいろなことがうまくできちゃったので苦しかったけれど、そのなかでも楽しいことが2つありました。1つが、絵を描くこと。もう1つが、学芸会。お楽しみ会とか、お誕生日会とか、そういう時に、僕は必ず劇をつくっていたんです。しんどい時も、しんどくない時もずっとそうでした。それが結局1番楽しかったんですよね。だから、この年になって振り返ってみれば、その当時自分が苦しいながらもそこだけは楽しかった、ということを今もやり続けているな、そう感じていますね。自分が劇に出るよりも、クラスで普段活躍してない人たち、その人たちをおもしろく見せるというのがすごく好きでしたね。そんなことをちょうど去年思うように なりました。今自分がやっていることは学芸会の劇の延長をやってるんだなぁ、と。
去年思えるようになったのはなぜ?
ずっと気づいていたかもしれないけど、それを口に出しちゃいけない、という思いがきっとあったんだと思います。一応、福祉施設の体裁を取っているんで、そこで「自分は劇をしてます」なんてことは、なかなか言いづらい。でもそれを言葉として表現していいんだと思えた、そういうことかもしれないです。さっきも話したように、何も考えずにはじめたので、手探りで日々をつくっていくしかなかったんです。この場を0からつくっていく、そういうなかで自分が得意な手法に勝手になっちゃった、ということかもしれません。一貫して「誰かを笑かす」、「おもろいことがしたい」というのがありました。難しい理屈よりも前に、「笑わせたら勝ち」みたいな。
「ゴミコロリ」は、そういう感じなんですか?
そうですね。スウィングは何も考えずにはじめたんですが、「ゴミコロリ」と、フリースクールの子どもたちと遊ぶ、この2つだけははじめる前から決めていました。当時は「ゴミコロリ」という名前はついてなかったけど、「清掃活動をプロデュースして、おもしろいことをしたい」というのはあったんです。でも、いろいろ忙しくて1年半くらいは何もできなかった。そろそろやるか、と思えたタイミング、2008年10月からやりはじめました。
PHOTO BY Swing
「まち美化戦隊ゴミコロレンジャー」は人気者。 演劇的手法があらたなコミュニケーションを生む。
PHOTO BY Swing
京都人力交通案内「アナタの行き先、教えます。」の様子。
何も考えずにスウィングをはじめられたのはなぜ?
なんなんですかね。最近、少しずつ「使命」という言葉も使いはじめました。しばらくは、そういう言葉は大げさすぎると抵抗があったんです。けど、なんらかの使命感みたいなものはありましたね。でも、使命感だけじゃないかな…わかんないっす(笑)。決めたんですね、前の職場に勤めて半年くらい経ったときに「自分でやる」と。なぜだか決めちゃったんです。僕は、めったに決めないんですけど、でも、決めたからやる、ということなんです。
なぜ木ノ戸さんにとっては、おもしろさが大切?
おもしろくないと思ったからですね。カッコ悪いとかじゃなくて、おもしろくない。そう思ったんです。おもしろくないと思っちゃったから、おもしろくしよう、と思ったわけです。
おもしろくないということが、社会全般に対してもあった?
福祉の現場で、そういう社会が縮図的に見えやすかったりもしたんです。
その時は、どうなったらおもしろいと?
おもしろい要素がもう目の前にあったんです。そのおもしろさをちゃんと伝えなきゃと思ったんですよね。もし「カッコいい」というものが目の前にあったら、「これ、カッコいいよ」と知らせないとと思ったかもしれません。でも、目の前にいた人たちは、シンプルにダサい!けどカッコいい、みたいな(笑)。それをちゃんと伝えなあかん、もっといろいろな人に知ってほしいな、というのがありましたね。「こんなにダサいですよ!」「ダサい人がいますよ!」って(笑)。
そういうおもしろさと出会ったときにはどうしているんですか?
1つ「ギリギリアウトを狙う」という鉄則がありますね。ギリギリセーフを狙っても、それは枠組みの中のことなんです。かといって、枠組みを外れすぎるとバランスが良くない。だから「これ、アウトかな?セーフかな?どっちかというとアウトかな」というラインに足を踏み入れてゆくと、広がっていくと思うんです。「ギリギリアウト」をしていくと、「アウト」が更新されていく。そして結果的に、「セーフ」の領域も広がっていくんですね。
「ギリギリアウト」は実際やってみて問題にはならない?ギリギリとはいえアウトだから、普通は怖くてセーフに落ち着く。
だんだん挑戦することに対して、耐性がついてきますね。だけど常にそこを狙っていかなあかんと思っているので、ある程度の勇気もいる…挑戦をする時に必要なものは「勇気」だけなんですね。「勇気」というか「やけくそ」ですかね(笑)。うん、「やけくそ」の方が大事ですね。だからよく「やけくそ待ち」という状況がありますね(笑)。「やけくそのタイミング、まだ来ないなぁ」って。「まだ頭の中をぐるぐるするんや」みたいな。結果的には「やけくそ」でやることも、考えぬいてやることも、たいして変わらない気がするんですよね。なら「やけくそ」でやった方が清々しい。
そう思えるようになったのはどうして?
あまり考えすぎてもたいしたことない、というのを身を以て経験してきたんですね。「下手の考え休むに似たり」という言葉があります。「下手くそが長いこと考えても、休んでいるようなもんだ」ということわざです。「ぐるぐる考えてもたいしたことない」とか、「もう勢いで突き抜けるしかない」とか、そういうことを経験してきたんですかね、この10年で。
劇をつくるときの木ノ戸さんの役割は?劇のイメージは?
演出であるとか、プロデュースですね。目の前にいる人のおもしろさや、ダサさを見える化する。社会化する、と言ったらカッコいいですけど(笑)。
どちらかというと喜劇ですかね。当然その可笑しみの向こうには、逆のものもある。おもしろい側面ばかりじゃなくて、裏側や苦しみみたいなものも挟み込んでおこう、というのは思うところです。ちゃんと物事の両面を伝えないと卑怯、という思いがあります。
劇をスウィングという組織内に置き換えるとどういうイメージですか?
組織の場合、実際の演劇みたいに、大道具さんも照明さんも音響さんもいないので、選ぶのはプレイヤーか、演出家か、の2つくらいなんですよね。それは向き不向きですね。プレイヤーしか無理という人ももちろんいます。演出家は僕だけでなく、いろいろな人がやったらいいと思っています。それが広がっていくといいなとイメージしています。
そのイメージは職員さんについて、利用者さんについて?
そこの分け隔ては全くないですね。基本的に、うちの福祉施設の体裁としては、職員と利用者、言い換えると支援者と被支援者という関係性が、法制度上どうしても生まれてしまいます。すると、支援者と呼ばれる人たちは、自分の職分として一生懸命支援しようとしちゃうんです。そのために、利用者・被支援者の側にいる人は、支援されることがある意味で自分たちの役割になってしまうんです。だから、支援者性や被支援者性ということを溶かしていく、なくしていく、ということをずっと続けています。そうすると、〈利用者〉、〈職員〉、〈健常者〉、〈障害者〉という属性が消えていく。最後は〈人〉と〈人〉しか残らないわけです。そして、人を人としてちゃんとみる。「この人には何が向いてるかなぁ」とか「この人にはこういうことが不向きだなぁ」と人に対して向ける目線は、すべての人に一緒ということですね。
どうやってその属性を溶かしているんですか?
支援者と言われる人は、できるだけ支援しないほうがいいんです。支援した分、支援された人は自分でできなくなる、ということですから。だから、1番いい支援というのは、何もしないことだと思ってるんです。例えば、すごく優秀なライフセーバーは、めったに動かないはずなんです。本当に危険な時しか動かない。すごく活躍しているライフセーバーというのがいたとしたら、よくやっているように見えるだけで、ポイントを押さえられてないと思うんです。だから、職員としてスウィングに来る人には、「引き算をどんどんしていくこと」、「自分の仕事をどんどんなくしていくことが仕事なんだ」と説明をします。利用者と言われる人にも、利用者根性を背負って来る人もいます。電話1つ鳴っても「職員さんが出るもんだ」みたいな文化があったりするわけですよ。でも、本当によく考えてみたら「なぜ?」という単純な問いですよ。「出れる人が出ればいいじゃないか」と。そういう細かいところから話し合ったり、あるいは、電話に出ないマインドの人が電話に出たくなるような環境をつくる。そうすると、「自分ができることを、自分でしていこう」という文化が芽生えていきますね。
スウィングを一歩外に出れば、依然として〈障害者〉と〈健常者〉という捉え方に晒されますよね?
そうですね。そこにすごい演劇性があると思っています。いわゆる障害者が、むき出しで〈障害者〉として歩いていると、それは〈障害者〉なんです。だけど例えば、青いゼッケンをつけて、軍手をはめて、火ばさみを持ち、ゴミ拾いをする、という演出が加わると、その人は〈障害者〉ではなくて、〈感心な人〉、〈ありがたい人〉になっちゃうんですよね。ゴミを拾わなくても、「ありがとう」と言われたりする。
スウィングでは「まち美化戦隊ゴミコロレンジャー」というヒーローを勝手につくったんですけど、これが本当に〈社会から付与された属性〉というのを無くすんです。逆に、強烈な属性ができるんですね、〈ヒーロー〉という。その強烈な属性が、他の属性を全部かき消すんです。
同業者からすごい非難されそうですね。
戦ってきたこともあるし、スルーしたこともあるように思います。だけど、気付いてないというのが1番大きいと思いますね(笑)。10周年記念パーティーの時に、全国各地からたくさんの人が来てくれて、「みんなに好かれてるなぁ」と。その時に「同じくらい嫌われてますよ」と言われて、「あぁそうなんだ」と気付いた(笑)。その辺はすごく鈍感なので、助かってます。
視察に来るのは福祉関連の人が多いですか?
同業者が多いですね。でも、理解はしてくれても、やらないという印象が強いですね。
福祉施設には利用者がいて、その利用者を語る、ということが当たり前になっています。〈利用者〉という存在を、自分とは違う存在として対象化してるんです。「オリの外からオリの中を見ている目線」と僕は言うんですけど、そういう目線がやっぱりあるんですよね。その目線のもち方は、本当に「違う!」と思っています。オリの中に入ればこれまでには見えなかった共通言語が見つかるかもしれない。オリの外に立って当事者性というのを持っていない人が多いと思います。言い換えれば「マイノリティーは彼らであって、私たちではない」という他者感覚を持ってしまっている。それぞれがただの〈人〉に戻っていけば、対話は成り立つと思うんです。もちろん話が合わないこともある。でもそれが、人と人の対話ですから。
関わる人が当事者であるために、どういう具体的な工夫を?
たとえば人を対象化する、他者化する目線っていうのでいくと、おそらくどの福祉施設でも、1日の振り返りの時間というのがあって、いわゆる〈利用者〉といわれる人の1日の様子をみんなで共有したりしていると思います。そこで語られる多くは、問題とか課題なんですね。そして、その多くは悪口なんですね。そこでうちでは、「その人がいたら言えないことは、この場で言ったらあかん」というルールがあるんです。悪口ですから、陰口を叩くな、と。そうすると、課題や問題探しがなくなりますね。逆に、「エピソードを拾う」ということを大事にしています。つまりその人がここにいて、一緒に笑っちゃうような、嬉しい気持ちになってしまうような、「その人がいてもちゃんと話せることを話そう」ということなんです。すると、ある人の存在を肯定的にみていく、という目線が育ちます。課題や問題を探す目線は、やはり否定的な目線なんです。そして人を対象化する、他者化する目線なんです。でも、課題や問題と見えるものも、見方を変えれば、とっても素敵なことにも変わりうるので。
今までやってきたからこそ得れたものは?
10年が経って、自分たちがだんだんとイメージできてきたスウィングという場、あるいは、スウィングと社会との関わりが一定の形になったな、という実感を得られたことですね。10周年記念パーティーの時に、うちのメンバーの一人から「これからなにをしたらいいのか」と聞かれたんです。僕は「今まで通りのことをするだけや」って答えたんです。本当に、続けてきたからこそ形になったことばかりなので。
スウィングと社会との関わりには、どういう価値が生まれるんでしょう?
世の中の「OK」を増やしていくということです。それが、障害のある人に限らず、マイナスの属性が付いてない人にとっても、生きやすい世の中につながっていくと思うんです。何らかの息苦しさや生きづらさを持ってるのは、誰もが同じだと思います。そういうしんどい世の中、息苦しい世の中を緩めるような力があるんじゃないかなと思いますね。
障害が「ある」か「ない」か、は価値観が変われば変わる、と。「OK」が増えれば障害も減る。
障害が「ある」とされること自体が、世の中の主流の価値観である「生産性の高さ」とか「効率性」からの逆算だと思うんです。ようするに、最もスタンダードな枠組み、それに合わないとされる人が〈障害者〉とされちゃうんです。その社会の許容値が広ければ、〈障害者〉とされない人がたくさんいる。逆に、その社会の許容値が狭まれば狭まるほど、〈障害者〉は増えていきます。だから逆転の発想ですよね。こちら側で新しい価値観をつくりあげて、世の中に提示していけるという可能性を秘めていると思いますね。
だから「ギリギリアウト」。
そうですね。スタンダードという「セーフ」の中では、新しい価値観は広がっていかないですもんね。