アートと工芸を〈たが〉で締める職人の創造性
中川 周士さんへのインタビュー
中川さんの代名詞とも言える商品である「シャンパンクーラー」は、桶である。円形ではなく、涙型であったり、波打っていたりするけれど、全ては桶と同じ技術、細かな板を釘一つ使うことなく、たがで締める、それだけでできている。
工芸とは何なのか?または、アートとは何なのか?中川さんの生み出してきた品々は、木という素材が有する自然美と可能性を驚愕の域まで引き出す技とともに、そんな問いかけまでを宿している。手に取る者の、心を奪う、と同時に、価値観を静かに揺さぶる。そんな品々をつくる職人。彼の試みを支えている意思は何のか。人間国宝である父から受け継ぐものは何のか。世代を超えた創造の世界に生きる彼が見据えている景色を知りたいと思い、中川さんの工房を訪ねた。
PHOTO BY Shuji Nakagawa
癖の強い木材の素性を見極め、最小の手仕事で生み出す器。
PHOTO BY Shuji Nakagawa
細長い板を立て並べ、たがで締める桶の技術から、既成概念を超えた桶が生み出される。
「芸術家」と言われてないけれども、僕らが「これは芸術的な活動だ」と思っている人たちは、近代以降の「ART」という概念のなかで失ってしまったものに取り組んでいるように感じています。近代化は等しく工芸と呼ばれる領域にもあったと思うんです。あらゆる分野において近代化した今、自覚的な人も無自覚な人もいますが、近代化以前、あるいはもっと遡ってその領域の本来の姿を求めている人々がいるように思います。
「芸術」、「美術」、「工芸」という言葉ができたのが明治時代、今から150年くらい前ですよね。それ以前の状態というのは、それらは「観念」として分化していなかった。その分化する前の観念の状態。そこが面白いなと僕も考えていました。
「0.00」みたいなことですよね?
そう、逆戻りしていく。
そこで「芸」という字の語源を調べてみると、植えるという、植物と人と大地を示す象形文字でした。「自然」という概念も西洋からの概念なので、おそらく、その象形文字で表そうとしている植える姿は、東洋的な自然観でみるべきものだと思います。「術」の語源を調べてみると、十字路の先にとうもろこしが実る、という象形文字でした。そして訓読みは「みち」。ある目的のために行為を積み重ねるという意味でした。
海外のデザイナーと、「日本の美術性」というものがどこにあるのかということ話した時に、極めていくところにある、と。極めていくということは、つまり積み重ねいくということが「術(みち)」になっていくということ。今は同音の「道」が使われている茶道、華道などは、海外がイメージする「ART」というジャンルの中には入っていないものなんです。「工芸」や「クラフト」も含めてそうなんです。日本の特殊性は、それを「道」にしてしまうというところにあると思います。逆に、そこに非常に芸術性を感じる、という話をよくします。
もう一つ同じような話があって。「職人」というものが一体どういうものなのか、ということを考えていたときに、日本の「職人」という言葉の幅は結構広いんです。町工場の機械工のおじさんも職人だし、道路工事のおじさんも職人、伝統工芸をする人も職人と言う。「職人」という言葉のなかに、それぞれの仕事の中で極めていく景色がある。「極み」「向上心」そして「尊敬」を含む。積み重ねていく姿、まさに「道」となっていく感覚が含まれる。それは、ヨーロッパの人にとってはなかなか理解できないところなんです。機械を使う人のことは、職人とは呼ばずに「職工」と呼ぶ。逆に、「アルチザン」という言葉には「機械工」は入らない。僕らは「アルチザン=職人」というイメージを持っていたのが、結構違いがあることがわかりました。
そして、日本の特殊性、むしろそこが可能性につながっていく時代だと思っています。というのは例えば、AIにしか出来ないことと、人間にしか出来ないことを考えていった時に、もちろんAIが予想飛び越えて変化していく可能性はありますが、やっぱりAIを生み出したコンピューターの世界観は、「純化」つまり「単純化」による世界観なんです。でも、人間は逆で「複雑化」、「より複雑な方向に発展させていくこと」。それが、生き物の本質的な部分だと思っています。
その複雑な世界を理解するために、機械というものが生まれてきた。それは複雑な自然界というものを単純化して、モデル化していくことによって、理解を深めていくということ。単純化することによって効率を高めて生産性をアップしてきた。世界がどんどんその方向で進んでいくと、世界を単純化させていくことで様々なことが解決していきそうな錯覚に陥ってしまいがちです。だけど、どうもそうではないことがわかってきた。「1+1」の答えが必ず「2」になるほど、人間の世界は単純ではない。そのなかで、僕らが無意識でやっていたことが、今後、重要な要素として注目されていくであろうと思ってるんです。
人は分けようとする。「分ける」から「分かる」。でも、世界は分かれていない。言語化できたことだけで、世界が構成されているわけではない、と。
日本語と英語の方向性の違いというのは、まさにそこなのかなと思っています。英語というのは、「ここにコップがある」ということを表現する、現実を見えるようにする、単純化していく、分化させていくことに非常に向いてる言語だというふうに思うんです。
ところが、日本語というのは、主語、述語もなければ、時制もない。それぞれの世界観の中で霧のようにふわっと存在していて、それらが混じり合うなかに、文脈を読む、読むのではなく感じろ、というのが日本語です。ラテン語や英語より、もっと古い神話を描いたような文章に近い言葉系統だと感じています。
よく言うのは「ニュアンス」。例えば、「美しい」という言葉は、漢字で「美しい」と書くのと、平仮名で「うつくしい」と書くのと、カタカナで「ウツクシイ」と書くのと、「う・つ・く・し・い」と間に「・」を入れて書くこともあって、「美しい」という一つのカテゴリーの中にある幅の広さというものを言葉の表現で置き換えていける豊かさがあると思います。そういうのはまさに「見えない世界」を表現していく可能性を秘めている言葉だと感じています。
さらに言葉は、思想や思考に大きな影響を与えるものだと思うので、英語圏の人が、単純化してより効率性を求めていくのに対して、僕らは言葉で表現されているものの裏側を見ようする、そんな志向性の違いが生まれるんじゃないかな、と考えながら日々、桶を作っているんです。
道具にもその文化の持つ志向性や優先順位、価値観が現れると思いますが、どのような差を感じますか?
一番大きいのは、ノコギリと鉋に現れる道具の差です。日本では、「引いた時」に切れたり、削れたりする。一方で、海外の道具は大抵「押した時」に切れたり、削れたりするんです。人間の力は「押す」ときの方が強く働くので、ノコギリでも押した時の方が効率は良くなるんですよ。例えば、丸太を切る時に、押す力が2あって、引く力が1あるとすれば、一本の丸太を切るにも、海外のノコギリなら10回押して切れるところが、日本の場合は20回引かないと切れないということになりますよね。つまり、効率性を考えると圧倒的に「押す」方が良いことになる。でも、正確性を考えた時は、圧倒的に「引く」方が正確性は高いんです。それがまず道具の違いとしてあります。それが工芸における日本と海外における思想の違いというものにもなっていると思いますね。
興味深いのは、電動ノコギリや電気鉋の場合は、日本でも押した時に切れたり、削れたりするんです。さらに興味深いのは、今、アメリカのノコギリメーカーなどが「引いた時に切れるノコギリ」を市販しはじめているんですよ。
結局、より効率性を求める世界があるとしたら、その部分は電気に置き換えられていく。そうすると、人間のする仕事というのは、効率性を追うのではなく、より非効率的だけど精度が上がる方向にシフトしていく。そういう棲み分けが起きているんだな、とすごく感じています。
中川さんがこれまで歩んできた道を振り返ってみて、「起点」だったと思うのはどういう時ですか? 元々、鉄を使った現代彫刻をなさっていたと聞きましたが、なぜ木ではなかったのか、にも興味があります。
「アート」と「工芸」この2つの「道」が、自分の中で1つに融合しはじめたあたりが起点になっています。5,6年というところです。それまでは「アートの世界」と「工芸の世界」が交わることなく、水と油のような感じで、きっちりと棲み分けをしながら、自分の中に存在し続けていました。ここ 5年くらいで、「これがどちらに起源があるか」と自分がつくるものの根拠を求めた時に、その起源が分からなくなった時があったんです。それが僕の起点になるかなと思っています。それこそはじめの話ではないけれど、自分の中で別々だった「アート」と「工芸」が1つに融合し始めた。それが、自分の「2.0化」ですね。そう思います
そのような景色になった理由をいくつかあげるとしたら?
1つは、まずものの見方が二者択一ではなくなってきた、ということです。「Aか、Bか」という選択肢のなかからものを選んでくるということに、すごく慣れすぎていた。でも実は、「Aか、Bか」というものが1つの極点だとしたら、その間には無数の選択点があるんですよね。自分自身が選びとっていくことへの責任と自覚。つまり「Aか、Bか」という二者択一ではなくて、その間に無数に広がるもののなかから選びとる感覚になってきました。
二つのうちの一つを選択する感覚と、無数の選択点を感じながら選択するのとでは、結果つくるものにクオリティの差が出るんでしょうね。
そうですね、確実に出てくると思いますよ。多様性という言葉が、リアルに見えてきたというところがありますね。「二者択一」が、「三者択一」「四者択一」というふうに増えていくことが多様性なのかなと思った時に、「人間の数だけ多様性がある」みたいなことを思うようになりました。
そして見えてきたことは、例えば「コップを作ります」という時、誰に向かって作るのかということです。今までだったら、人が1つの大きなマスとして動いていた。マスに対してアプローチしていくことが、たくさん売れるということだった。今はそれがどんどん変わってきている。どんどん細分化されて、本当に個人の数だけに、「一体、僕は誰に向かってものを作ったら良いんだ」というところに最終的になってくると思うんです。「あなたに向かって」という、一人ひとりに向かって作っていく感覚に近づいているんですね。これまでの物の売り方、作り方が変更を余儀なくされている。そのなかで、伝統工芸の世界というのは、昔の古いやり方をかろうじて残していた。そこに1つのキーワードが見えてくる。「おあつらえ」という文化だと思うんです。「おあつらえ」というものは、元々「あなたのために」という、ようするにオーダーメイドです。伝統工芸にはそういうことを普通にやってきた世界観がある。人間というものは一人ひとり違うし、一人ひとり処方箋を書き換えていかなければ、もしかしたら誰かを殺してしまうかもしれない。診察もせずに処方箋を出すことがおかしいように、マスの集団に対して同じ処方箋だけを処方していたらおかしいですよね。人間の世界というのは、単純ではない。一人ひとりにそういうことをしていかないとダメなんだということがある。その悩みの中で伝統工芸が注目されているということが、僕はあるのかなと思っているんです。
伝統工芸の世界には、今仰った「おあつらえ」ということと、もうひとつ、世代を超えて受け継がれてる「型」のようなものがある。中川さんにとって、先人から継いできた、或いは、これから繋いでいく「型」とはなんですか?
僕にとっては「木の扱い方」です。木をどういうふうに扱うのか、それが僕にとっての「型」なんです。コップだったり、お櫃だったり、お皿だったり、というのは型ではなくて、木をどういうふうに使うかの、そこが基本になるんです。だから、桶であるという必要もなくなっちゃうんですよね。むしろ大事なのは、桶という技法じゃないんです。
例えば、これは木を自然に割っただけのお皿です。水を汲めるお皿なんですけど、水が木に浸透したら、水を溜めることはできないですよね。でも、水が浸透しない方向が木のなかには存在しています。その理にかなった使い方、理にかなった削り方、理にかなった組み立て方というものがあるわけです。だから、その「木の扱い方」ということを守ることが、僕にとっては型なんです。修理・修繕できるということも、そこのルールを守っていくのであれば、世代を超えて修理・修繕できることになるんですよ。
「伝統工芸」と一括りに呼ばれる世界でも、モノによって違います。というのは、素材に対しての違いというものがあるんです。例えば、八木さんのところの素材というのは銅ですよね。金属の中でも非常に錆びたり、伸びたりというところがある自然素材に近い金属です。でも、金属というのは一度精製の過程を通るんです。そのなかで素材の持っている自然性というものは小さくなっていく。でも、僕らの扱っている「木」の場合は、1本1本に性格があって、違うんです。ようするに、その素材の持っている自然度合いというものが異常に高いんです。銅や、ブリキという金属に比べると、100倍、1000倍近く自然性というものが高いと思います。それをどうしていくのか、というところが日々の戦いでもあります。それをコントロールすることはできないから、それを知っていかに形にしていくのか。そこが、僕らにとっての型、一番大事なところだと思います。
なるほど。中川さんは、一つの形状に拘らず、次々にあたらしいものをつくる。中川さんにとっての、「次世代に繋ぐ」ことの意味が分かった気がします
結局そこですよね。つまり、100個の新しいことに広げるにしても、僕が思う「大切なもの」というのはそこに続いている。100個に広げても、99個は淘汰されていくと思うんですよね。でも、1% でも次の環境に適応することができたら、その種というものは次の世代まで引き継いでいくことができるわけです。桶というものはつまり「絶滅危惧種」に近くなってきていて、生き残っていくために様々な「突然変異」を僕はつくっている。そのなかで、1つでも2つでも、次の環境に適応するものを僕自身がつくれたとすれば、次の50年や100年にも、桶屋さんが続いていく世界を守れるんじゃないかな、ということを考えています。
かつ、変化や変貌の激しさもあります。同じ時代に同じ業界にいるからといっても、時間軸というものは、僕は必ずしも同じではないと思うんです。<
僕のおじいちゃんがやっていた頃には、京都市で250軒の桶屋があった。それが大体60~70年前なんです。今は3軒か4軒かしか残ってない。この半世紀少しで、50分の1以下に急降下したわけです。同業者の数や、その時代の流れみたいなものがそれぞれにあると思っています。そのなかで「どこの位置に自分が属しているか」ということ。そのカーブはそれぞれ全然違うわけです。
かつては、ある程度大きなフレームの話をすれば、多くの人たちがそのフレームの話で納得できたんですけど、今は、小さいフレームの重なり合う形での社会が成り立ってきていると思っているんです。大きなフレームという幻想が今は崩壊しつつあるので、小さなフレームというものがすごく目に付きやすくなってきている。その細かいフレームの重なり合いというものが、すごく見えるようになったから、Aという方式がBにはあてはまらなくなった。それが露呈されている。「伝統工芸」というと「大きなフレーム」の話になってしまうんです。それは幻想でしかない。各自が置かれている時間軸、目指してる方向、やってることも相反することをやっていたりする。それでも、大きな枠の中で見ちゃおうとする。すると、幻想に囚われてしまう。僕も今まさに訓練中なんです。大きなフレーム、幻想という夢みたいなものを払拭して、目の前のそのもの自体をどうやって観ていくのか、ということを訓練してる真最中です。そうしていくことによって、「次に何をしていくべきか」というものが観えてくる。そこに観えてくることは、「僕個人の」何をしていくべきか、です。
その個人としての何をすべきか、のなかで、2003年に独立したんですか?
その当時そこまで考えてたかというと…ただまあ、2001年に父が人間国宝の認定を父が受けて、僕がやること、なすこと、「人間国宝の息子」という1つの冠が付いてきた。もう僕個人としては見てくれなくなった、という環境がありました。特に親父の工房でやっていると「お父さんの跡を継いで頑張って修行してよ」ということがワンセットになってしまう。そこには反発心や反抗心、そういう思いもあって。そういう冠みたいなものから外れて、「自分の力だけで一体何ができるのか」、自分の力試しみたいな意味合いもありました。
親父からは、工房を独立するんだったら、京都市内か、府下でもいいから少なくとも「京都で工房をしろ」と言われたんです。一つに「人間国宝」という冠があったとしたら、もう一つに「京都で伝統工芸をしている」という冠があったんです。そのどちらもなしで、本当に自分の力のみで何が出来るのかということへのチャレンジみたいな部分もあって、滋賀のこの土地に工房を構えることになったんです。
でも、親父と同じ工房で仕事をしている時よりも、親父の仕事に対するリスペクトができるんですよ。いわゆる「前面的なもの」よりも「背面的なもの」のほうがよく見えてきて。「すごい良い仕事をしているよな」っていうことを思うようになりましたね。一緒にやっていた時というのは、その仕事の凄さがわからなかったけど、「ものの見え方」が変わって見えてきたということがありました。
そしてその頃から、それまで「斜にものを見ていた」のが、過去に対して「直視」をするようになりました。そして、今話していたような「桶の未来」に対する見え方も変わってきたかな、と思います。どこからかというと、知らない間にですけどね。
はじめに「アート」と「工芸」、2つの道が融合しはじめたのが5年くらい前だとおっしゃっていましたが。
そうですね。大学を卒業後、その当時僕は真剣に鉄の彫刻をやっていて、親父に「週休2日にしてくれ」ということを言った。けれど、親父から「アホか、職人に週休2日なんてありえない」と言われた。昔の話ですけど。しょうがないから月〜金曜日の8時から23時まで仕事をしました。6時か7時で、普通は仕事は終えるんですけど、夕飯を食べて、8時から11時までまた仕事をする、と。「5日あれば15時間になるから、土日はその分お休みにしてくれ」と親父に頼んで、土日を無理矢理説得してお休みにしてもらいました。月曜日から金曜日の朝8時から夜11時まで工房の仕事をして、金曜日の夜そのままアトリエに向かう。アトリエで寝て、土曜日の朝から日曜日まで鉄の彫刻をする。それで、ほぼ3ヶ月に1回ぐらいは個展かコンクールに出品するっていう生活を10年くらい続けました。そして大体一つの目安がついた頃、独立の話がたまたま出て、工房を滋賀に構えました。
すると結局、今度は自分の工房なので「自分で仕事を取ってきて、お金に変えていく」ということが主になってしまって、今までできていた彫刻もできなくなった。逆に、そこから木工に本気で集中する時間、自分の意思を持って工房を回していく時間が、2003年から2012年あたりまで続きました。
2010年に「シャンパンクーラー」という、今までなかったような形の桶を作ったということが自分のなかでの転機になりました。そして、海外で発表するようになって、海外のデザイナーとコラボレーションをして、新しいものをつくりはじめたというのがちょうど2012年からです。
それで1つ面白いことに気づきました。僕は、デザイナーとよくコラボレーションするわけですが、そうするとアーティストから「他人が考えたモノをつくっていて、楽しいの?」と、言われるんです。アーティストというのは、自分の考えというものを自分の表現として出していくので、そこに他者の考えが入るということは「どうなのか?」と言われるんです。
でも、僕自身は結構平気なんです。「アーティストの視点」と「職人の視点」というものがあって。むしろ「アート」という概念ができる前の感覚に近かったのかもしれませんが、家業としての職人の家に育ってきたから「おあつらえ」の感覚で、そこは解決出来るものなんですよ。
かつ面白いのは、例えば、自分という領域があったとしたら、自分の領域の中で普段ものづくりをしていても、そこから飛び越えるということは、実はないわけですよ。デザイナーと一緒にやって面白いと思うのは、自分が作れると思う領域の外側のものをオーダーしてくる時があるんです。あとは、僕の覚悟次第。それを取り込んでしまうか、僕には関係ないことと突っぱねるかなんです。そこで取り込んでしまうと、今まで自分にとっては外だと思っていた領域まで自分という領域が広がる。ようするに、自分自身をイノベーションしていくことができる。自分自身の中だけで表現するアートの世界とはまた全然違う面白さがある。桜井さんの「社会芸術家」という言葉も、それに近いと思っています。「社会」と「芸術家」って、本来は真逆のものなんです。でもまさに「逆のものを1つにしようとする」こと。そのことによって科学変化を起こすということを考えてるんだなと、思いながら聞いています。
ありがとうございます(笑)。その「社会芸術家」の一つの重要な要素として見えてきたことは「寛容性」なんです。「寛容性」というものは、芸術の中ではあまりありえないことですよね。
そうですよね。
「僕の作品」という「僕の」という意識をなくしている状態で作品がある。自分を深めていけば深めていく程、「僕」は「僕たち」に変わる。そんな感覚をもつことが「社会芸術家」であり、「社会芸術的」だと思うんです。
そうですよね。「僕」が「僕たち」に変わる感覚ってすごく大事ですよね。
生物学的に考えても、それは内蔵されていたシステムで、生物のシステム、進化のシステムというものは必ず雄と雌というものがある。それが遺伝子を半分ずつ交換しながら次の世代に繋げていく。ようするに、自分にとっては他者という異物を取り込んで、次に繋げていくというシステムが内包されているわけです。それがはじめに話していた「人間の持っている世界観の複雑性」。人間が持っているシステムというものは、純化させていく方向ではなくて、むしろ「より複雑にしていくシステム」ということを進化の段階から持っている。
本来、AIをはじめとする科学的な世界では「ノイズ」と呼ばれる邪魔であるはずのもの。それが、自分を変えていく、進化、変化させていく、1つのプロセスであるということですよね。そこが先ほどの「寛容性」ということであるのか、それ以上の積極的な言葉なのか、そう思うところがありますね。
「アート」と「工芸」が融合しはじめたときから現在まで、一貫して持っていた価値観、或いは態度を言葉にするとしたらどんなものですか?
1つは「暗黙知の形式知化」ということになると思うんです。それが、今の考えに至る最初の取り組みです。実は、ここも面白いなと思っていることがあります。暗黙知を形式知化させていくことによって、僕の中には「より深い暗黙知」が流れ込んでくるんです。ようするに「紐付いている」というか、暗黙知を形式知化したそばから、これまでは見えなかった暗黙知がどんどん引っ張り出されてくるんです。だから、どんどん「深み」が分かってくる。僕がちょうど2014年のTEDxKYOTOで「暗黙知を形式知化する」と話していたけど、今から見たら、その当時に見ていた「暗黙知の形式知化」はすごく簡単なことだと思えるんですよね(笑)。当時は、それを難しいと思っていたけれども。それは、僕の人生とも通じるところがあって。親父の所から飛び出した時に、その時は僕は「もう親父を超えた」と思っていたけど、「そうじゃなかったんだ」ということが見えたりとか。世界の広さや深さというものがまだまだあって、そこがどんどん見えるようになってくる。天井知らずの世界。
1つ目は「暗黙知の形式知化」。2つ目はなんですか?
海外に行ったということが、僕自身にはとても大きい。国内にいた時に「海外の職人さん、アルチザン」というものに対して「幻想」があった。ものすごく良い印象があったんです。「Sir.」の称号を与えられていてたり、マスター・クラフトマンとか。「その人達は物凄いテクニックと考え方と、物凄い作品を作るんだろうな」と思っていたんです。でも海外に行って、実際にそういう人たちに出会って、話して、その人たちの作品を見ていた時に、「あれ? 全然日本のそこらへんのおっさんと変わらない。というか、むしろそういう人達のなかにももっとすごい人達がいっぱいいるんじゃないか」という思いになった。
もちろん、海外の職人さん達にもすごい人はたくさんいます。でも、かなり見上げないといけないと思っていたものが、そういうことではなく、自分と対等で、一緒に話をできる人間だった。そういう感覚を持てたことが大きかった。そのことによって、日本のことが世界に繋がっている、という感覚を持てた。そして、ヨーロッパ、アメリカなど海外も、フィールドとして十分に活用できるものなんだ、と自分が思えてきたということですね。
今だからこそ見えている景色はどんなものですか?
そうですね。工房のあるこの場所の魅力と職人の育て方、仕事のあり方というものを今、見直そうとしています。職人が暗黙知を身に付けていくのには、5年や10年かかる世界なんです。それは桶の業界では長く続かせていくためのネックになる。桶をつくる数が、昔とは違うので。つくる数が1割になれば、暗黙知を身につけるのは10倍かかる。だから、「暗黙知を形式知化」していくことは必要です。あと、工芸の世界は、いつの間にか「プロ」という意識が強くなり過ぎたのかなと思っています。おそらく江戸時代の頃とかでは、桶とか竹籠をつくることは、所謂「農閑期の仕事」だったと思うんです。いつのまにか、それが1つの商売となっていった。けれど、特に農村に住んでいると思うのが、昔はたぶん、専門の桶屋さんがいたわけではなくて、農閑期の内職的につくって街に売りに行ったんではないか、と。そういう仕事が、専業というものが生まれる背景にあった。伝統工芸の歴史からみても、所謂朝廷や幕府への献上品を作る職人さん達というのが最初にプロ集団化された。そうじゃない、例えば、利休のあの黒茶碗で有名な樂さんにしても、茶道の茶碗というよりは瓦かなにかを焼いていたはずなんですよね。結局は、畑や田んぼを作りながら焼き物していた人の中から、その腕を見込んで見初められた。プロの意識が生まれてくるのは、近代後半なんじゃないかなぁ、と思っているんです。
それで、農閑期の仕事としての桶屋、というものを復活させようとしているんです。冬場とかおじいちゃん、おばあちゃんで「次に田んぼに水を入れるまで、本当に暇だ」という人がいる。そういう人達に、冬場、集中的に桶を作ってもらう。そういうことが新たなビジネススタイルとして有りなのかもなぁ、と思っていて。それがようするに都市に頼らない新たなビジネスのあり方というか。
そういうことって地域ビジネスの新しい形にもなり得るんじゃないか、と思っています。
あと、究極のオーダーメイドって、自分で使う物を自分で作ることだというところまで、今は考え方がいっています。それに対して、僕らのような「手に技術がある人間」というのは、アドバイザーとか、スポーツジムでいうインストラクターのようなかたちで、適切なアドバイスと作り方を教えていくというのが、将来の工芸家の1つの形としてあるのかな、と思っています。「プロ意識」があるとすれば、その生徒達というか、作りたいという人達が想像するものを超越するようなものを作る、というところに「プロとしての存在価値」があるだろうと思っています。例えば、日常使う木のフォークやスプーンとかって、買うよりもむしろ自分で作った物のほうが愛着があるし、大事にしてもらえるし、壊れても直して使うことになる。それが人間の豊かさにも繋がっていく。
「プロ化して、細分化していく」というのは結局「効率性を高めていくためのシステム」になるので、むしろ自分の物を自分で作るっていうのは非効率だけど、そこに「人間の心の豊かさ」を生み出せるものとして、1つのアリな方法なんじゃないかな、と思ってます。
工房の隣で貸農園をやっていて、そこに来ている人達が、毎日って訳じゃないけど、泥まみれになって、嬉しそうに最初に採れたトマトとかを持ってきてくれたりするんです。「100円で買えるものだとしても、作るコストは1000円くらいかかっているのだろう」と思うけれども、その「豊かさ」というのは「貨幣価値の高い、低い」ではなくて、嬉しそうにお裾分けしてくれたりする時の笑顔に「豊かさ」が隠されている。そういう人達と話をしていて、「工芸もそういうのもアリなんじゃないか」と。
もちろん「ものづくりのプライド」というものはあるけれど、専業なのか兼業なのかとは、また違うと思い始めています。専業化していった理由というのは、まさに、「より効率的に、より能率的にという単純化と純化のシステムのものづくり」です。でも、その価値観というものは今崩壊してきてる。結局そこが問い直されている。それを思うと、「プロでなくても良いんじゃないのか」と。毎日ここの景色を見てると、そういう思いになってきますね。近くをちょこちょこと雉が歩いたり、狐が飛び出してきたりとかね。
これまでつくったもののなかで、中川さんの価値観を最も表しているものは何ですか?
これは究極的に作業を全くしない形です。木の中に通っている流れみたいなものを読み取って、それに沿った仕事をしていくということなんです。木というものは繊維の塊なんです。その塊をノコギリで切るとすると、見た目はツルっとはなるんですが、顕微鏡で見ると繊維の断面に穴がいっぱい空いてる状態になるんです。その塊を切るのではなく、割る、さらには裂くに近い状態で割ると、ストローの束を裂くような状態なので、ここに繊維の断面というのはほとんどないわけです。そうすると、ここに水が溢れた時、木の中にほとんど水が浸透していかないんです。桶は水に強い状態じゃないといけないから、こういう割った状態のもの使うんです。でも、どうしても自然の木なので、節や枝があったりする。そして、その周囲の繊維は曲がってしまう。桶をつくる時は、そういうものをなるべく避けていくんです。でも、こういう木は200年とかをかけて成長してきた痕跡がずっと残っているわけです。それらのカーブってものすごく美しいんですよ。これを「なんとかできないかな」という発想から出てきたのが、これらの作品です。自然の木の曲がりを利用すると、薄くしてもずっと曲がったまま繋がっていて、非常に丈夫な状態が維持できます。自然な形をそのまま利用して作っているものなんです。
一つひとつの木の個性と向き合うことなるので量産が出来ない形になっていくけれども、個別にアジャストしていけるというのが僕らみたいな仕事の良いところ。そういう仕事のあり方というのが、将来的に進んでいくだろう社会の形として、一つの試金石になるんじゃないかなと思っています。
作業としてはよりシンプルになるんですか?
よりシンプルになりますね。これだと鉋は使わないですからね。
ということは、時間での値付けはできない。
そう。つまり「唯一無二」になったわけです。すべてが「一期一会」。定量の価格の付け方というのができなくなる。それこそ「時価の世界」になってくるんです。この木の、このカーブには二度と出会えないでしょうし、それに対して僕が価値をつけるというよりも、お客様がどうやって価値をつけていくのかっていうこと、つまり「出会い」ということだと思います。
「アート」と「工芸」が融合した道、或いはそれぞれに分かれる前、の感覚のなかで、それでもあえて、「アート」と「工芸」それぞれに社会にとっての価値があるとすれば、それぞれどういうことだと思いますか?
アートという感覚、いわゆる「ART」と書くアートの感覚は、「人間の心の問題」を解決していくための1つの手段として、非常に重要だったというふうに思います。その起源というのは、やっぱり宗教から来てるのかなと感じることがあるように、人間の心の問題というのを重要視していたというふうに思うし、そこを解決する方法をたくさん指し示してくれたというふうに思っています。ところが、「工芸」というのは、どこまでいっても「物と生活」のところにある。人間の身体も含めた、生きていくための方法論というのが、そこにある。そういう意味では、「精神性」と「身体性」というのを同時に用いてるものが「工芸」だと思います。精神性というものに主軸を置いているものが「アート」なんじゃないかと思っています。
その意味で、次の時代は実は「アート」の時代ではなくて、「工芸」の時代なんじゃないか、と思っています。
そこで面白いなと思ったのが、「個性」についてです。
ようするに、人が見つけていないことをやっていこうというのが現代美術の個性と言われるとした時に、職人の仕事というのは1つの製品があったとしたら祖父も父も僕も叔父さんも、全く同じものを作れなかったら意味が無いわけです。それでも「これは、親父の作りだ」とか「おじいちゃんの作りだ」とか、分かってしまうんです。寸法を測ると、寸分違わぬ寸法帳通りになっていても、分わかるんです。
「アート」が外側に自分の個性を求めていくのに対して、「工芸」には、自分が消そうと思っても消し切れない個性みたいなものがあると思うんです。そこが結局、「アートの限界」だと僕は思っているところがあります。「アート」というものはいわゆるイズムみたいなものに繋がる時はあるけれども、1人の作家が自分の人生の中で表現を完結させるというのが目的だと思います。だから、基本的には「2代目 アーティスト」とか言わないですよね。でも、職人というのは2代、3代、と続いていくんです。やっぱり「一代では探求し得ない深さ」というものがある。例えば、木について探求しようとか、粘土について探求しようとか、茶筒について探求しようとか、本当に探求ということを考えたら、1世代では追え切れないような深さ、広さというものがあるんです。それを職人という人達が世代を重ねながら、血族に限らず、師匠から弟子へ時間をかけながら引き継ぎ、昇華させていく。それはアートにはない世界です。
アートの唯一無二の世界とは違う、職人の継承されていく世界というのが、今、再評価されているんじゃないかなというふうに思います。