大地と組織の多様性が美味しさを届ける
小野 邦彦さんへのインタビュー
私たちが日々食している野菜は、もちろん工業製品ではない。太陽のもとに大地に根をはる植物で、そして誰かが育てたものだ。野菜たちは、私たちの世代だけの力でできるものでもない。土はかつての動植物の営みを養分にして肥沃になり、雨もまたかつて地球上のどこかで空に昇ったものだ。ということは、私たちの営みもまた、未来の土となり雨となる。この一見とてもシンプルなことを、私たちは忘れがちな社会に生きている。小野邦彦さんは、そんな地球のサイクルへと想像力を広げる入り口を「未来からの前借り、やめましょう」というキャッチコピーとともに商品として届ける企業、坂ノ途中の経営者だ。坂ノ途中は、美味しい野菜を通して私たちと環境負荷の小さな農業を志す新規就農者の皆さんを繋ぐ。国内で前例のないこのビジネスを成長させる小野さんの活動は、芸術的な企業経営だと僕は思う。その想いをあらためて伝えたくて、坂ノ途中本社を訪ねた。
様々なバックグラウンドと想いをもったスタッフが集まる坂ノ途中本社での昼食の様子。
営業活動よりも農家との連携を強めることで、少量多品種の安定的供給体制をつくっている。
小野さんの歩みを振り返ったときには、その起点になった、或いは、別れ道になった、というのはありますか?
そういう意味でいうと、物心ついたぐらいの時「何でこんなに生きるとは残酷なのか」と思ったんです。子供だから感じることはすごく単純で「何で他の命を犠牲にしないと命は繋いでいけないのか」と。外を歩くだけで無数の虫や草を踏んでしまうのは残酷なんじゃないか、と。「もう僕は外に出ない」と言い出したり。
例えば僕が、それこそアーティスト的な家に生まれてきたら、「なんてこの子は感受性の高い子に生まれてきたの」と言われ、そういう優しすぎる感受性を守りながら生きてきたと思うんです。でも残念ながら「そんなことはいいから、もう黙って食べなさい!」みたいな。それなりに「普通」な環境で育ったわけです。学校なんて悲惨なもので、そいういう社会とは折り合いが悪い感受性を殺すために学校なんてものはあるんじゃないかと思うくらい。そして気づけば、普通の田舎の少し騒がしいぐらいの中高生になってました。その辺から、やっぱり外向きに生きていくんですよね。自分のやりたいこと、ではなくて、中高生だからモテるためにやっといた方がいいこと、を選ぶようになる。だから、そのままたいしてやりたいこともなくて、社会に出たくないから大学に進む。
バックパッカーをしたのはとても大きな経験でした。それまでにいろいろなところで身につけてきた見栄とか虚飾みたいなものが、剥がれ落ちていく感覚がすごくあった。チベットや氷河の景色といった外の出会いももちろん大切なのだけど、内的な変化に気づけた。根本的に自分が持ってた「違和感」とか、「世の中への怒り」みたいなもの、「何でみんなこう近視眼的なんだ」とか、「自然環境に負担をかけなきゃ生きていけないんだ」みたいなところ。「やっぱり自分はそれがずっと引っかかっているのかな」というのを再認識した。見栄とか、外からの評価じゃなくて、「自分のやるべきことをやらなしゃあないな」、みたいな感じで。僕の場合は、腹を括ったとか、覚悟を決めたとか、そういう感じじゃなくて、「しゃあないな」って感じなんです。その辺がやっぱり起点なんだと思う。
剥がれていった見栄、例えば?
一つは、就活偏差値みたいな話とかね。そういうの「もういいかなあ」って。原稿にすると嫌味っぽくなるかもしれないから、話にくいのだけど、自分の中で「賢さ」みたいなものへ愛憎入り混じった思いがあるんです。それが自分のアイデンティティになっちゃってると思うし。でも一方で、例えば小学校だったら賢いやつよりスポーツできるやつの方がモテるし、高校だったら賢いやつよりバンドやってるやつの方がモテるわけじゃないですか。「なんで自分の才能はモテない部分にあるんだ」みたいな鬱陶しさのようなものがあるんだけど、やっぱりロジカルに物事を構築していくようなことが得意だと思うんですよね。そこで負けちゃいけないという思いがすごくあった。だから、バックパッカーをやりはじめた頃は、実はコンサルティング会社に行くつもりだったんです。賢さで生きている人たちと戦おう、きっと自分はそのなかでも優秀といってもらえる、と考えていた。でもその剥がれていく感覚のなかで、そういう賢さって、「なんか無力じゃね?」みたいに思えた。世の中が「こっちの方向に進んでますよ」という時代のなかで、それを加速させるためには、賢さは重要かもしれないけど、「ちょっとこっちに捻じ曲げよう」という時代のなかでは、「賢さ」というよりは「頭おかしいかどうか」が大事だと思う。だから、賢さを大事にするのも、もうやめようと思えたりした。
「頭おかしいかどうか」というのは、小さな頃から残念ながら抑圧された元来小野さんにあった感受性を大事にしようってこと?
そういうことです。与えられた課題を短時間で解きます、とかそういうことではなくて、自分の根っこにあるものをちゃんと喋れる、とか。その方がよっぽど大事だって思えたってことです。
それ以降、小野さんのなかで一貫した態度があるとしたら?
一つテーマとしてあるのは「鈍感であろう」なんです。僕らは、事業モデル自体を3年に一度ぐらいで変えていて、その最初の3年間ぐらいは、”small & beautiful”なビジネスをつくるということだった。地域の生産者を地域で支える、そのモデルを示すことで、日本中で類似事例が生まれたらいいな、と思ってやってた。だけど、3年ぐらい経ってそういうモデルがある程度できあがったときに、誰も僕らのことを悪くは言わない、だけど、誰も真似しない。ということに気づいた。つまり社会的インパクトが起きない。いろいろなところに真似してもらうという社会変革のあり方は、もちろんあると思う。でも、僕らはそこまで器用にその路線を走れないということに気づいた。というのは、僕らがやってることは「汗かいたら、地域の生産者を地域で支えれますよ」なんです。だけど、他の地域からやってくる視察者の方々の多くが求めている方法は「汗をかかずに地域の生産者を支える」方法なんです。そこに、大きなギャップがあることに気づいてしまった。ならば、”small & beautiful”路線をやめよう、と。「意味わかんない、あいつら何やってんだろう」と思われながらも、自分達で社会的インパクトを持てるようになろうと変わっていったんです。そんな変遷のなかでずっと大事にしてるのは、「鈍感さ」なんです。鈍感でないとできないことがいっぱいある。
例えば、起業した頃。半年経っても野菜の売り上げは月19万とかでした。普通だったら、このやり方がおかしいと思って、やっぱり新規就農の人の野菜を売るなんてビジネスとして成り立たないんだとおもって、事業のあり方を転換するでしょう。たぶん、同じような経験してる人も、日本に100人ぐらいはいると思う。新規就農者の販路が問題だ、小量生産の農産物が流通できる仕組みがない、なんてことは、農業やオーガニックの分野に関わる多くの方の間で共有されている認識だと思うので。でも、その他の100人の人たちが新規就農の野菜を売ることを事業化できずに、僕らがまぁ、どうにかこうにかできてる。その唯一の理由は、僕らが一番「鈍感」だったということだと思う。
3年目4年目ぐらいに事業のアクセルを踏み出してあたらしい人を入れたりすると、農家さんから「野菜のことを全然知らんやつに、野菜を売りたくない」というような話もでてきた。それに対して美しさを求めすぎると、ちゃんと人材教育しようってことで成長速度が鈍る。すると会社が保てないから、農家さんとの細かなコミュニケーションを諦めて、大量生産している人から野菜を仕入れて、大きいお客さんに売ろう、みたいに変わる。結果、事業成長はしたけど、最初の想いとはずれる。でも僕らは「まあ、怒られる時もあるよね」っていう鈍感さがあるから、多少の摩擦はあるのだけれど、結局やりたい事業を続けていける。「即対応しない強さ」みたいなものがある。
あと、もう一つテーマとしてあるのは「多様性」なんです。多様性という言葉は手垢がついていて格好悪いように思うけど、僕たちが言う「環境負荷の小さい農業」が何を意味するのかというと、ようするに「生物多様性が確保されている農業」なんです。そういう農業を目指す会社が、ビジネス戦闘力の高いエリートの人しかいませんとか、やっぱりそれは違うでしょう、って思ってる。だから、基本的にかなりわけわからん人も採用するようにしている。賢くなくてもいいし、思いを強く持ってなくてもいいし、体力なくてもいいし、京都にいなくてもいい。いろいろな人がなんとなく息ができる場所、そういうもので会社はあるべきだろう、と思ってやっている。
小野さんが本来持ってしまっている「賢さ」、それが効かない状況を自ら作っているように聞こえます。
るほど。潜在的にはあるかもしれないですね。裏返しになっているのか、そうかもしれないです。そこまで来るとちょっとかっこよすぎですけどね。
小野さんは、何に愉しみを見出しているのかな?と。そのコントロールできなさ、を愉しんでいるのかな?と。
なるほど。たしかに、次から次へとくる、コントロールできない状態や、困難なことなんかを、「おぉ、また来たなあ」と思って愉しんでいるというのは、あるかもしれないですね。あると思う。「仕事って楽しいですか?」という質問をされて、5%ぐらいは「まあおもろいこともありますよ」と、ニヒルに答えることが多いんだけど。実際は、何やってても「愉しいな」と思いながら生きているのかもしれない。極めて後ろ向きな人間だと思ってたけど、実はそれは表現だけの問題で、大体のことは愉しめてしまうスタンスで生きているのかもしれない、と思うと、ちょっと赤面したりしている。そんな前向きなのは、格好悪い(笑)。
坂ノ途中を8年間やってきて得たものは?
人との向き合い方、かな。「多様性」と言いましたけど、はじめは全然できていなくて、それはプロセスのなかで、いろいろな人間との向き合い方を鍛えられたと思います。そしてそれは、思っていたより味わい深い。うちのスタッフや取引してる農家さんとか、付き合いが深くなる人たちと話していると、「しょうもない人間ってあまりいないんだな」と。みんな、どこかしらに味わい深さがある。
小野さんが「想像力を刺激するスイッチを押したい」と話しているのを読みました。「坂ノ途中」という社名も、「野菜提案企業」という言葉も、「未来からの前借り、やめましょう。」というキャッチコピーも、社会の価値観を揺さぶりながら、きちんとメッセージを届けるのがうまいな、と思っています。その辺りは自分でどういう風に扱ってるのかなって思っていて。経営者という面と、そういう創造者という面についてはどう思っていますか?
アーティストっぽい側面ってことですか?れは本当に上手くやれてない、と思っています。なにせ小さな会社なので、どうしても自分が事業を回すということをやらないといけない。僕は「こういう世界観でいきましょう」という方向性の打ち出しとかコンセプトメイクとか、そういう分野って悪くないと思うんですけど、そっちに割いてる時間って1%か2%しかない。だから、少しもどかしい。もう少し本当は頑張りたい。
もし経営者の面を3割ぐらい減らせるとしたら?
もっと世界観をちゃんと表現したい。僕らは噛めば噛むほど味のある会社だと思ってるんです。だから、それをもう少しわかりやすくしたい、と思います。
例えばどういうところ?
もう本当全部なんですよ。例えば、メインの事業として野菜ボックスを宅配していますが、野菜ボックスで表現されてるのは本当にごく一部。その野菜ボックスをつくるためにどれだけ僕らがオリジナルな出荷をしてるか、とか。普通の会社では出荷作業はルーティンワークだと思われていて、できれば外注したい領域だと思います。でも、僕らは出荷は自分たちでやり続けると決めている。そうじゃないとわからないことがたくさんあるから。出荷作業で、ちゃんと野菜と向き合ってるからこそ、キャリアの短い新規就農の人の野菜を扱っていてもお客さんには不都合がないようにできる。ただ右から左へ新規就農の人の野菜を流して、サービスレベルを維持するのは、絶対無理だと思います。
あとは、「環境負荷が小さい」とは、何によって達成されるのか、みたいな話。僕らの野菜を食べてたらOKなんてことはない。僕らは、農薬や化学肥料を減らしましょうとやっているわけだけど、流通の現場で起きている環境負荷もとても大きいし、消費の現場でも、どんな食材を買うか、とか。そういうことをトータルで表現して、うちはこのテーマだけ掲げています、というのがあるべき姿なんですよね。
例えば、ウガンダでごまを栽培して、京都でごま油をつくる、という事業は、創造者の面に振り切った事業だと思います。メッセージ性も強いし、なによりロジックだけでは割り切れない動かし方だな、と。
の流れからはずれるかもしれないけど、僕にとって象徴的だったできごとをいうと。まあウガンダの事業でずっと動いてきました。ゴマの栽培をウガンダでしてもらって、京都でゴマ油をつくった背景にはメッセージがあります。というのは、環境負荷が小さい社会というと、地域内でできるだけ資源を回すことが理想的です。でも、地域というのはそれぞれに個性があるから地域内だけでの資源循環はとても難しい。だから、地域間の連携もとても大切です。地域の個性も踏まえた上で連携しましょう。ゴマは乾燥に強いので、雨が降る日本で無理してゴマを作るより、アフリカの乾燥した地域でゴマを作ってもらって日本で買ったほうが合理的じゃないですか、ということです。そのメッセージをそのまま伝えてもみんなピンとこないから、急に僕らがウガンダに行き出したら面白いかなあ、と。それが想像力を刺激するスイッチになったらいいかな、と思ってやってきました。すごい苦労もあったんですけど、うちの担当だったの子が、現地で別会社を作って独立するような格好で今は落ち着きました。
ウガンダの事業などで一緒に仕事をしていたシンクタンクの方から「ちょっとラオスにも来てみない?」と言われた。そして、行ってみるとその方が用意してくれた宿が、僕が18歳の頃、バックパックで初海外の時に泊まった宿の正面だったんです。本当、すごいタイムスリップ感。「おお、なんかここ知ってる」と。そして僕はわりと運命論者なので「ここまでやってきたことは間違ってないよ」「ここまでOKです」と、誰かに言ってもらったような気がして、軽くなった感じがした。
自分が大きなものに生かされている感覚は常にある?
僕はわりとずっとそうです。例えば小学校の時だと「僕は同じ道を通らねばならない」と思っていた(笑)。何かと自分はきっと接続されているだろうという思いがあって、それが何かで結びついているとすると、自分が違う道を通るとそれが絡まる、みたいなことを思っていました。意味わかんないですよね。それはさすがに中学生ぐらいになるとなくなりましたけど。思い出したんですが、小さい頃「強く念じれば具現化するんだ」と思わざるを得ないことが続いたんです。それから嫌なことだろうと良いことだろうと、念じたら具現化してしまうんだ、と思うようになった。その辺から運命論者的な感覚がはじまっているのかもしれません。
でも一方で僕は、常日頃はこういう非ロジカルで、非サイエンティフィックなものとの繋がりに基づいて事業をやろうとは思ってないんです。基本的には合理的に環境負荷が小さい農業を広めていくにはどうしたらいいかって考えて、そこにアプローチすべきだと思っているし、ずっとやって来ている。だけどたまに、すごく暴力的にその感覚に引き戻される時がある。さっきのラオスの例とか。だから、それを含めてそういうもんなんだと受け止めてる。望もうと望むまいと、そういう方向に引き戻されるから、普段は考えずに生きていけばいいんだろうと思っています。
小野さんにとって、坂ノ途中とは何ですか?
僕たちがやってるのは、ギリギリビジネスに乗りそうなことなんです。組織設計もそうだし、ビジネスモデルもそう。普通のビジネスに慣れちゃってる人から見ると事業化できない。でも、ギリギリ事業化できるかもしれない。そのギリギリのところを、ちょっと工夫してビジネスにしている。その芸当かな。微妙な、勝ち目の薄そうな、だけど何とかなるかもしれないグレーなところを見つけてきて、自分たちであれこれチューニングして、いろーんな個性を持った人たちが寄り集まって、危ういように見えるのだけど、でも成り立っている。この芸当はちょっと「オリジナルなんじゃないの」という自負が、ちょびっとある。