可能性に生きることで拓かれる、チョコの新境地
吉野慶一さんへのインタビュー
Dari Kのチョコレートは特別だ。チョコレートの原材料であるカカオ豆。そのクオリティコントロールは日本で唯一のレベル。インドネシアに現地法人をつくり、栽培から発酵、焙煎に至るまでを徹底して行っている。しかも、彼らは品質水準を満たせば農家さんからカカオ豆を買い取る。市況に左右され、品質の良し悪しで価格が決まらないことが常識となっているカカオ豆の流通にも革命を起こしている。これまでのチョコレートは、クーベルチュールと呼ばれる製菓用に加工されたチョコレートを始点として技術を競う世界だった。しかし、彼らはいわば「チョコレート以前」を創造の舞台に変えたのだ。
これまで誰一人として経験したことのなかったフィールドをゆくDari Kを率いる吉野慶一さんに会いたい。彼はどうしてそのフィールドを歩めたのか知りたい。そう思って、Dari K本社を訪ねた。
チョコレート生地以前、インドネシアでのカカオの栽培、発酵からクオリティを追求するDari Kのチョコレート。
カカオの種からチョコレートにするまでの全工程を経験してきた吉野さん。
最初の質問は、自分の道を振り返ってみたときに、あの辺りが起点だというか、どこから自分の道の景色が変わったんでしょう。
1つ確実にあの時自分の考えが変わったなというのは、バックパックで旅をしていた時、20歳の時ですね。ラオスの山の方に入っていって、そこで一人の少数民族の女の子に出会いました。その女の子は、床に座って、お母さんがつくった民芸品を売っていた。歳は13、4歳に見えました。今でこそ格安航空とかあるので、ラオスに行くのは難しくないですけど、当時はヒッピーとかしかあんまり行かなかったですよね。その中で、たまに通る外国人に対して、お土産を売るというのが、彼女の仕事。僕もたまたまヒッピーの一人みたいな感じで通った。すると、女の子が「オニイサン」って。僕は「なんで日本語をしゃべれるんだろう?」と思って近づいて行ったんです。すると「これを買わないか?」とはいうけど、あまり執拗に売ろうとしないんです。「日本語教えて」みたいなことばっかりで。僕も暇だったのでしばらく一緒に居ました。そうしたらその女の子は、外国人が通ったら「hello」と言ってみて、振り向かなかったら「ボンジュール」と言ったり、いろいろな言葉をしゃべれる、ことがわかった。「なんで喋れるの?」「学校で習ったの?」と訊くと「学校はない」と。学校は行ってないし、そもそも学校自体がない、と。だから、朝から晩までここにいるんだ、と。でも、その場にいる他の子はずっとこっちを見ているけど自分から話さないし、英語も喋れない。その子だけが、話せる。だからその子に「なんで日本語喋れるの?」と訊いたら、その子は自分で練習していたんです。旅行者が来るたびにノートにメモをして「Helloは日本語でこんにちは」だと全部書いていたんです。そこに衝撃を受けた。
僕は大学に入ってからずっと、バックパック旅行ばかりやっていて。バイトか、旅行かという生活。それも旅行が好きだったというより、学校がつまらなかったから。高校を出て、大学で自由になって、なのにあえてなんでテストのためにまた勉強しないといけないんだろう、と。そんなときにその子に会って、1番ぐっと来たことは、もし自分が彼女たちの立場だったら、僕はその子にはなれなくて、周りでただ座っている子たち側にいたと思うんです。「あー、外国人来ないな」と思いながら手持ち無沙汰でずっと下向いていた子であったと思う。でも、その女の子は自分で学んで、すごく会話を楽しんでる。言葉を喋れるようになるから、またどんどん喋る。そして、喋るのが面白いから外国人も買う。そういう姿を見た時に、自分は旅行ばかり行って「こんな社会いやだな」と思っている。「この子は、言い訳してない」。彼女は、学校がないということも、勉強できる環境にないということも、正当な言い訳にすることができる現実があるにもかかわらず、言い訳せずに自分でやった。その姿を見て、僕は日本に帰ってからは猛勉強するようになりました。勉強する目的は、今までのようにテストで単位を取るため、卒業のためにやるものじゃなく、自分ができないことをできるようになるためへと変わりました。
将来なりたいものがあるわけじゃないけど、自分探しをするよりも、とりあえず彼女にとって言語がそうだったように、ツールはたくさん持っておくべきだと思って、経済や法律、政治を学んだりしていました。特に言語には力をいれて。
なぜその子を見て、そう思えたんでしょう。
本当は自分自身のなかに「言い訳せずに何かをやりたい」というのがあったんだと思うんです。でも、「大学はつまらない」とか、「どうせこれ勉強しても、社会人になったら役に立つかわかんない」とか、やらないための言い訳をしてきた。自分がきっと真剣にやりたくないからいろいろ言い訳をしてたんだと思うんです。だけど、どこかで「打ち込めるものがあるならやりたい」という気持ちもあったんだと思うんです。
そのあと証券会社に行ったのはなぜですか?
2つ理由があるんです。1つは、一生その仕事をするという感覚は、僕らの頃はそこまで強くなかったと思うんです。働くにあたって自分が1番重要視してたのは、刺激的なところかどうかというところだったんです。極端に言うと、がんばらない人が嫌いなんですね。がんばらない人が生き残れちゃうところは嫌だった。もちろん僕から見てがんばらない人も、ある分野ではがんばっているかもしれないので、あくまで自分目線ですけど。だけど、やっぱりがんばる人とがんばらない人はいる。だったら、できるだけがんばってる人と働きたいという思いがあったので、頭良いとか悪いとかそういう基準じゃなくて、がんばっている人が行く業界に行きたかった。それで結局、その会社は競争率が何百倍とか言われて、みんなそこに入りたくても入れない人がいるということを聞いて、「そんなにがんばらないとそもそも入れない会社なんだ」と。
あと、もう1つは、歳の離れた妹が2人いるんです。親は離婚していて母親に育てられたので、今後妹たちも大学行ったりするし、母親も仕事ができなくなるだろうし、と。それで、家族を養うと考えたときに、給料が多くないといけないということもあって。
それで、家族が困らない分を一生懸命稼いで、今度は自分のやりたいことをやろう、と。カカオがありきでやめたわけではないです。
また旅に出た?
そうですね。ビジネスの種を探していたんです。次は自分でやろう、と。そのときに人の役に立つことがしたいな、と思ったから、「人ってなにを求めているんだろう」という視点で世の中を見ようとしてた。それまでもたくさん海外に行ってきたので今回は海外で、「なんで?」と思うことに目をつけよう、と。例えば、アジアに行くと、日本のりんごやいちごが500円、600円で売っている。「これ、おかしいな」と。日本で100円で売っているものが、なぜこんな値段になるんだろう、と。だけど、売れるから置いてる。「これ、もう少しなにかできないかな」と。一方で、日本に帰ってみると、ニュースで「今年はりんごが超豊作。だから値崩れするから農家が畑に穴掘ってりんごを埋めてます」という。廃棄しているりんごがある一方で、すごく高い値段で売れてるりんごもある。ならば、「これをなんとかくっつけられないものか」と。でも空輸、関税、ロス率、利益といろいろ考えたらそれなりの値段になる。だからさらに売れなくなることを見越して、ロス率をあげるとさらに高くなる、と。1番の問題の本質は、腐るということが値段を高くしてるから、腐らないように加工すればいい、と。単純なんですけど、「ジャムとかつくったらいいじゃん」と思って、農協に電話をかけまくった。「海外に持って行って売るので、ジャムとかつくってもらえませんか?」と。でも「誰ですか?」って(笑)。
「誰ですか?どこの会社ですか?」「いや、個人なんです」というと「すでにアジアに販路はあるんですか?」と訊かれ、「いや、これからなんです」と。そうすると「販路があったらつくれる」と言う訳です。「いや・・・でも、商品がないと営業にも行けないので、自分でお金を払うからつくってもらえませんか」と。そうすると「そういうキャパはないです」。要するに面倒臭いわけです。そういうことをいくつか経験しました。で、カカオもそのなかの1つだったんです。韓国に行ったときにたまたまチョコレート屋さんに入った。すると壁に「カカオ豆はこんなところで取れてます」という世界地図が貼ってあったのでそれを見ると、「アジアでも取れるんだ。ガーナだけじゃないんだ」と。ならば、「ガーナから日本へ運ぶより、インドネシアとかアジアから日本へカカオ豆を運んだ方が安くていいじゃん」って。「じゃあ、次のディステネーションはインドネシア!」と決めた。そのあと、2回インドネシアに飛んでカカオ豆に出会えた。1年に数人しか外国人が来ない、その数人もJICAや国際機関などその村が貧しいからくるようなローカルな村でした。そういうところでカカオは作られている。当然、ホテルもないので農家に泊まらせてもらって、「これがカカオか!」と。こうして栽培するのか、こうして収穫するのか、ということを一通り見せてもらった。そして「なんで日本に輸出されてないんだろう?」と訊いても、農家さんにはわからないわけです。だから「収穫したカカオはどうしてるの?」と。すると、「バイクでブーンと来るおっさんに売ってる」と。「じゃ、いつそのおっさん来るの?」と訊いたら「決まってない、家の玄関のところに豆を置いておくと、そのおっさんがバイクで通って買っていくんだ」と。だから、ずっとそのおじさんを待ってみました。するとたしかにバイクのおじさんが来た。おじさんに「この豆、どこに売るの?」と訊いたら「いや、知らないけど、また別のおっさんに売る」と。「ついて行ってもいい?」と、そんな感じで上流から下流へ僕は下っていったんです。すると4人目くらいで、そこそこ大きな倉庫に辿り着いた。バーっとカカオがあって「このカカオはどこに行くの?」と訊いたら「港にトラックで運ぶ」と。飛行機で降りたところが、その港があるところだったので、また帰ってきたわけなんです。そして、港の倉庫で1件ずつ「カカオ豆はどこに輸出するんですか?」と聞き取りした。するとまた「お前誰だ」と。「Japanese trading companyだ、三井や伊藤忠の仲間だ」と(笑)。「インドネシアのカカオに興味がある。これはどこに卸している?」と言うと、マレーシア、アメリカ、ヨーロッパだ、と。「なぜ日本には卸さない?」、「知らん」と。「知らんのかい!」と、いうことがわかった(笑)。だから今度は、一度日本に帰って、板チョコの裏に書いてある「お客様問い合わせ室」に電話して「御社はガーナ産カカオのチョコレートをつくっているけれど、なぜインドネシア産カカオのチョコをつくらないんですか?」と訊いたんです。「昔からガーナなんです」とか、「ガーナチョコのブランドが既に出来上がっているから、他の産地を使うのは難しいんです」とか、結局本当の理由はわからなかった。それでも諦めずに、いろいろ調べた。そして1つだけ見えてきたことが「インドネシアでは収穫した後、発酵をしてなかった」ということなんです。どの文献を見ても「カカオは収穫後、発酵する」とある。でも、インドネシアでは発酵していなかった。「なんでインドネシアでは発酵してないんだろう?」。発酵していないことがもし原因であれば、発酵さえすれば、日本でも受け入れられるかもしれない。そういう仮説に至ったんです。「じゃ、発酵してみよう!」と、また現地に行って、発酵してみたんです。論文に「バナナの葉っぱで発酵する」と書いてあったので「バナナの葉っぱには、目には見えないけどいろんな菌がついてる」と農家に伝えて「バナナの葉っぱ持ってきてみて」、「こうやって発酵するんだよ、お前知らないのか?」って、見よう見まねで(笑)。すると、一週間くらいしたら、匂いが変わってきた。僕は当然ドキドキでしたけど「香りが全然違うだろう。これがフェルメンタシオン(発酵)だ」と農家に伝えて、農家もびっくりして、「わぁ、すごいな!」と。「でも、俺は発酵しない」と言うんです。「なんでしないの?」と訊くと、「発酵をしてもしなくてもバイクでブーンってくるおっさんは、キロいくらで買う。質がどうかは関係ないんだ」と。そういうことなんだ、とようやくわかった。インドネシアでカカオの発酵をやらない理由は、発酵のやり方を知らないわけではない。やらない理由は、価格が変わらないから。それがわかった時に僕が思ったのは、「がんばったら報われる」ことの大切さだったんです。例えば、勉強してもしなくても、成績がみんな3になるなら、ほとんどの人は勉強しなくなる。がんばって働いても、なんにもしなくても、給料が同じだったら、たぶん誰も真剣に仕事をしないと思うんですよね。僕らは、そういう社会システムではないから、良くも悪くも今まで発展してきた。この農家達には、がんばるモチベーションやインセンティブがないんだ、と。そこで僕は「仮に、俺がちょっと高く買ったら、発酵する?」と訊いたら「それなら、するわ」と言うんです。ならばやはり、買取価格の問題であって、発酵のやり方を知ってるか知らないか、そういうレベルが原因ではない。問題の本質は「良いものをつくったら高く売れる」という当たり前のことができていないんだ、ということがわかったわけです。問題の本質を突き止めた。一方で、自分ではカカオ豆は売れるかもしれないけど、チョコレートは作れないと思っていたので「明日帰ります」、「三週間、ホームステイさせてもらってお世話になりました」とお礼を告げて帰ろうとしたら、農家のおじさんが怒ってしまって(笑)。「散々発酵が重要とかなんとか言いながら、お前は豆も買わず、契約もせずに帰るのか!」と。「どうしよう…」
と思って、とりあえず「買います!」と(笑)。そうしたら、翌日に噂を聞きつけた村の人たちが「俺たちも発酵するから買い取ってくれ」とブワーと来た。「本当に発酵するの?」と訊いたら、みんな「する!」っていうわけです。たしかに発酵することで匂いもそれまでと全然変わったし、彼らは希望を持てたんですね。だったら「全部買うわ!」。というわけで、全然売り先もなく輸入しちゃったというのが、Dari Kのはじまりです。
とはいえ、当然、農家さんには輸出ノウハウはないので、一ヶ月後に大阪港から電話がかかってきました。「吉野さん、豆届いてます」と(笑)。「自宅まで届けてくれるんじゃないんですか?」と言うと、「豆は、植物だから検疫が必要です」と。さらに「何に使うつもりですか?」と訊かれたので「考えてない」と。「考えてないのに輸入するって、そんなおかしな話ありますか」って(笑)。「おっしゃる通りです。チョコレートの原料なので、いずれはチョコレートになると思います」と。すると「個人でカカオ豆を輸入した人は、今までいないんです、これが前例になってしまうので、慎重にやりたい。ですから、ちゃんと検疫をしてください」と。「検疫をしてください」と言われても、僕はどうやるかわからない。そこで「業者さんを紹介してください」と。でも相手は税関で公務員なので「特定の民間企業を紹介することはできない、だからインターネットで自分で調べてください」と言う。僕は「ネットで調べようにも、どう調べたらいいのかもわかんない」としか言えなかった。すると暗示的な方法で教えてくれたんです。そうして見つかった業者さんに「すみません、ちょっといろいろありまして、カカオ豆がもう港に着いているんです。税関の人からは早く引き取らないと倉庫の保管代などいろいろと費用がかさむと脅されてるので助けてください!」と泣きついて。そして、600キロの豆が家に来た(笑)。どーんとやってきた。「やばい…」と。エレベータがなかったので、1袋60キロの麻袋を、引きづりながら3階まで持ってあがった。階段の角で麻袋が擦れて、ばーっと豆が飛び散って、マンションの人が一斉に出てきて「なんすか?これ?!」と言われ、「いや、なんでもないっす!大丈夫っす!」「チョコレートの原料です!」って言いながら(笑)。
なんでもないわけがない(笑)。
とりあえず部屋に入れて、部屋の3分の2が豆で埋まって「これはやばい…」と。そして、すぐにまた板チョコを買ってきて、裏面に書いてある問い合わせセンターに「すいません!いい豆入ったんです!インドネシア産の豆なんですけど。検討してもらいたいのでサンプル持って行きます!」と電話したんです。当然「誰ですか?」、「どこの会社ですか?」と訊かれて「無所属です!」と(笑)。「商社経由じゃないとうちは買えません」と言われました。
カカオ豆を買うと約束して、1ヶ月後に空港に届くまでのあいだは何をしていたの?
一応いろいろ調べてたんですよ。「お菓子、OEM」とかで検索して、カカオ豆を持って行ったらチョコレートにしてくれる会社のあたりはつけていたんです。あとは、最悪の場合は自分でどうにかしないといけないので、本屋に行って「チョコレートの作り方」の本を全部見たり。でもどの本も「このチョコレートを溶かします」から書いてあるんです。「カカオ豆が出てこねぇじゃねえか!」って(笑)。まさか、そこそこ大きなケーキ屋さんは、豆からつくっていると思っていたんですけど、それがなくて。「やばい…」と。じゃあ、チョコをつくる機械を探しに行こうと思って探して、横浜に一社あったので訪ねて「チョコレート屋を始めたいんです、豆がもうすぐ来るんです」と。すると「工場はどのくらいの広さですか?価格は大きさにもよります」と言われた。もちろん、僕には工場もないし、本当に作ろうと思ってたわけではなくて、機械がいくらくらいするのかが聞きたかっただけです。「一番小さいのでお願いします」と言うと、「一番小さいので、工場の面積で1000平米はいるかな」と。「そうですか!ちなみにおいくらくらいなんですか?」と聞いたら、「5億」(笑)。それで「ちょっと検討させていただきます!」って帰ってきて、また「やばい…」と。大手のチョコレートメーカーにも断わられ、チョコも作れない。「これはOEMしかない!」と。そして、OEMの会社に連絡すると「うちはクーベルチュールからはできます」「豆からはできません」。「これはもうまいったなぁ…」と思いつつも、自分じゃチョコレートつくれないから、パティシエを雇おう、と。そして、ハローワークに行きました。
当然、カカオ豆からチョコレートをつくった経験のあるパティシエはいないよね?
いないんです。いないから逆にチャンスだと思って「日本で初めてのカカオ豆からつくるチョコレート専門店をオープンするから、一緒にやる人大募集!」と募集したら、結構電話かかってきたんです。そして面接にきてくれたのは、みんなパティシエです。「私もそういうのやりたかったんです」、「吉野シェフ、どこで修行されたんですか」と。「どこで修行されたんですか」って言われても「海外とか結構渡り歩いてね」とか、嘘はついてない(笑)。「東京では、恵比寿で、モルガン・スタンレーというところにいて」とか、嘘はついてない(笑)。「すいません、存じ上げませんでした」と、みなさんケーキ屋さんだと思っているわけです(笑)。でも、レシピのことを「ルセット」、ケーキのことを「アントルメ」と呼んだりする、お菓子屋さんでは当たり前の言葉もわかんないから、結局10分も話したらばれてしまうんです。「シェフじゃないなら、いいです」とみんな帰ってしまいました。でも、最後に1人残っていた女性が「コーヒー屋さんでバイトしていて、オーナーが焙煎していたのを、私は横で見てた」と。「コーヒー豆もカカオ豆も似ている気がするから私、できる気がする」と。普通だったら「おいおい!」なんですけど、「お前だったらできる!」と採用して「一緒にやるぞ!」と(笑)。でも、機械もない、店もない。だから急いで不動産屋さんに行ったら「昨日空いた物件がある!」と。「たぶん人気だから明日には埋まっちゃう、けど即決できるんだったら」というから「やります!」と。そして、三条会商店街にDari Kの1号店ができました。
でも、店舗はできたけど、機械はないわけです。だから、焙煎はオーブンで、豆剥きは手でやればいい、と。もう1つずつの実験からはじまりました。豆100度、105度、110度、115度とか5度刻みで、5分、10分、15分、20分と、何十種類もつくりました。そうして、ある程度の焙煎の温度と時間が決まると、次はペースト。機械が良いものではないから粒子が粗い。そこで何回も何回もやってようやく「なんかペーストになったね」と。その彼女が「板チョコだと粒子の荒さが目立っちゃう。せっかくカカオ豆の焙煎からやってるのに、板チョコだと香りも飛んじゃう。だから生チョコの方がフレッシュでいいんじゃないですか」と考えてくれた。そして、ついに生チョコ完成。すると、それがめちゃくちゃうまくて、これは「やばい!」と。
それが、Dari Kオープンです。
最初お客さんがチラホラ入ってくれたんですけど、1粒350円では高いので厳しい。本当普通の商店街なので、みんな入ってきてはくれるけど「何でチョコが350円もすんの?」と、悪気はないけど高くて帰っちゃうということが多かった。でも一回買ってくれた人は、一週間以内ですぐリピーターになってくれて「びっくりするくらい美味しかったから、他の人に買っていくわ」って。だから「こんな感じでやっていけそうだな」と思っていたんですね。でも、6月くらいからどんどん気温が暑くなる。京都は特に暑いんで、全然人も入らない。暑くなればなるほど、全然売れない。7月くらいになったら1日の売り上げが1万円を切る日ばかりになってきた。「やばい…」と。その頃から、個人で借り入れもしはじめていた。会社に信用がないし、そもそも会社は赤字だから、お金を借りることができないので。自分に給料がないのは別に構わないけど、社員には払わなきゃいけない。だから、個人で借りて、給料などを払う。めちゃめちゃ働いてるのにマイナスになっていく、それはすごく虚しい。でも、そこで踏み止まれたのは、最初にインドネシアで600キロを買った農家さんからその時に「次もまた買ってくれるのか?」と訊かれて「1回だけじゃない」と言ってしまったので。「またきたぞ!」って言ってもらいたい。あとは、自分で新しいことをはじめたものの、売れないからやめた、というのがすごく悔しくて。これも言い訳だと思うんです。「そもそも自分はショコラティエでもない」「お店をやったこともない」、だからうまくいかなかったって思えば、それはそれで「そうだったんだ」となるかもしれない。でもそれって言い訳だと思って。その時に、ラオスの女の子のことを思い出して、自分もあの子みたいに言い訳しないでやろう、と。もうちょっとがんばろうと思って続けたんです。すると神様がいたのか、1日2、3人来るお客さんが、みんな2時から4時くらいの間に来て、しかもみんな男性だと気づいたんです。それで、このチョコをどういう経緯で知ったのかを訊くと、京都の料理界で新しくできたこのチョコが話題になってる、と教えてくれたんです。そして、そういう人たちに「どうでした?」と尋ねると、パリとかベルギーで修行してたけど、このレベルのチョコの美味しさはなかなか出会えないレベルだった、と。これは普通のお菓子メーカーが作るチョコと少し違うし、日本人がこのチョコの味をすぐ受け入れるのは難しいから、少し時間かかるかもしれないけど、がんばれよ、と言ってくださった。自分の給料がゼロで毎月2,30万の赤字だけど、シェフがそう言ってくれてるからがんばろう、と思って続けたんです。そして、冬がやってきて、売上が伸びた。
今日本の会社で現地での栽培指導からやっているところは何社ぐらいあるんですか?
カカオの産地に子会社を置いて、出張ベースじゃなく駐在員を派遣してやってるのは間違いなくうちだけですね。大手もやっていないので。
なかなか普通では辿り着けない今に、流れは吉野さんを辿り着かせた。それは何のためだと思いますか?
純粋に、他の人が同じことをやってこういうふうにできたかというと、たぶんそれはできないと思うんですね。例えば、はじめにどんどん売り上げが落ちて、借金もして、普通だったら、ここで辞めちゃうと思うんです。知識も何もなくはじめたという時点で、もしかするとマイナスのスタートだったかもしれない。でも、ホテルのシェフをはじめパティシエの人たちが来てくれるようになって、もう少しもう少しがんばろうということでやってきた。そのまま徐々に広まってきて、メディアにもいろいろ出させていただいて、プラスになれた。
例えば、2年目にも大きな事件が起きて、働いている社員約10人が一気にやめるという事件が起きたんです。その時は、本当に厳しかった。2月、3月の売上が、年間売上の7割ぐらいになるんです。チョコ専門なので、偏りが激しいです。その時は、1月。「吉野さん、社長、降りてください」と。パティシエ達に「吉野さんが社長をやる限りやめます」と言われた。彼らにとってなにが不満だったかというと、僕が彼らのことをあまり考えていないんじゃないかという心配があったんです。当時、カカオの殻を使って電気やガスをつくるというチャレンジをはじめていて、テレビや新聞は「京都のベンチャーが、農業廃棄物のバイオマスを使って発電にチャレンジ」と賑わっている。彼らとしてはチョコレート屋のDari Kに入ってきたのに、社長はエネルギーをつくるとか言ってる、と。僕も悪いんですけど、ちゃんと説明ができていなかった。本当に1月に辞められたら、2月のバレンタインのチョコは製造できない。僕ももちろん自分でつくれる分はあるものの、10人で昼夜働いてやっと賄えるような量なんです。「これはやばい…」と。自分が辞めれば、Dari Kというブランドは守られて、百貨店にも、お客さんにも迷惑がかからない。でも、自分がここで辞めなかったら、百貨店からは「カタログに載せてるのに商品がない!」とお客さんからクレームの嵐、それは契約違反だと訴えられても仕方ない。いずれにしても潰れちゃうなら、迷惑を最小限にして、自分が社長降りればいい、と。だから、「わかった、俺は辞める」とみんなに告げた。そして、百貨店のバイヤーさんに「恥ずかしいことに社内で割れてしまいました。バレンタインで迷惑かけちゃうから、僕は代表から外れます。でも品質はしっかりします」と言いに行ったんです。すると「何を言ってるんですか。吉野さんがやってるから、Dari Kのチョコを扱ってる。Dari Kの価値はチョコだけじゃないんだ、味だけじゃないんだ。今までやってきたいろいろなことがストーリーになって、それでみんな応援したくなってるんだから。吉野さんなしのDari Kだったら、うちははいらない」と言ってくれた。それで「さっきの社長を降りる件、撤回する。俺やるわ」と。結局、社員との契約で、やめるときは一ヶ月前に申告することになっていたのでそれを元に、バレンタインデーの時までは働いてもらったんです。もちろん、みんなは定時で帰るから、自分1人で1日中チョコをつくり続けた。そして、全員辞めて、残った社員が僕ともう1人。僕と彼と当時バレンタイン期間中で入ってくれていたバイトの2人で計4人が残った。「4人でやろっか」と。そしてDariKが再スタートです。
ここで僕が辞めていれば、今のDari Kはない。でも「ここ」を決められるのは自分。正当な言い訳は山ほどある。「ここ」をどうするか、というところにおいては、判断がいつもうまくいっていたのか。やっぱり振り返ってみればわかるけど、その時は次どうなるかはわからないですからね。上がるのか、下がるのか。その不確実な中でも歩いていける、ということは大切なことかもしれません。誰もが上向きになるってわかっていたら、それはみんながやっているはず。それをみんながやっていなかったということは「どこまでこの真っ暗闇が続くんだろう」と、目つむって歩くことは10歩はできても、100歩はなかなかできない。それでも歩くというのが大切なのかもしれません。そういう意味では、既成の枠組みや言葉や文化というものは、行動や活動をやめる言い訳になるのかもしれないですね。それを取っ払うことで、言い訳もなくなって、あとは自分の判断になる。
1番よかったのは、山あり谷ありあったけど、付き合う農家さんがすごく増えたこと。カカオは、品質ではなく、毎日の市況で価格が変わってしまうんです。だから農家としては、良いものをつくるインセンティブがなかった。そのなかでDari Kは、新しい価格制度を導入して、Dari Kが決めた7つのスタンダード(基準)を守れば決まった価格で買い取ります、と約束した。要するに努力したらした分だけ高く買うという、新しい価格設定をした。それは農家さんとしては嬉しいことで、当初5人の農家から始まったのが、今では300人くらい、まだあと2000人ぐらいの農家さんがDari Kと付き合いたいと言ってくれているんです。でも、今はうちもお店で売れる分しか仕入れられない。だから、いろいろなシェフやパティシエに使ってもらったり、大手のチョコメーカーに使ってもらわないと広がらない。これを大きくしていくには、次のステップにいかないと。もう自社では完結できないなぁ、というところが今のチャレンジですね。
そうして歩んできて得たもの、学んだことは?
「不確実」って、リスクとしてネガティブに捉える言葉じゃないですか。例えば、僕らは農家さんに対して「農薬を使わないでください」とずっと言ってきたんです。輸入した時に残留農薬のテストをしてポジティブだと、全部廃棄しないといけなくなるので。だから、農家さんに対して、なるべく化学薬品は使わないでほしい、と。でも、彼らにとっては、害虫薬を使わなくて虫にやられてしまったら、収入がなくなる。彼らにとってはリスクが高くなるわけです。僕らの全部破棄しなければいけなくなるリスクが、彼らの側に移るということ。でも、僕らはお客さんや取引先の方をツアーで毎年現地に連れて行くんですね。レストランがない場所なので、毎日農家のお母さんが食事を作ってくれるんです。5日間毎日、昼も夜も一緒に食べる。すると、農家たちが「日本人のツアーの参加者たちは、もうお客さんじゃない。自分たちの家族だね」と言いはじめたんです。そして、その数日後に「もうケミカル(化学薬品)は使わない」と言ってくれた。農家さんの方から害虫薬を撒いたカカオの実を日本の家族に届けることはできない、と。暑い常夏の国で農薬を撒くとき、彼らはマスクをして、ゴーグルをして、手袋をはめて、長靴をはいて、ものすごく蒸し暑い服装を着るんです。そうしないと体に毒だということは分かってるんです。それが今までは、バイクで来たおっさんにカカオ豆を売るだけだから、売ったその豆がどこに行くかも分かってなかった。だけど、こうして自分の豆を美味しいと食べてくれて、わざわざ自分の畑まで来てくれる人達を見ると、「もう(化学薬品は)使わない」と。ただ、虫にやられないために、梨やぶどうみたいに1つずつカカオに袋をかけているんです。ものすごく大変なんですけど、家族に対して危険なものを渡したくない、と。これは、お金あげるから化学薬品を使わないでよとか、そういうインセンティブやモチベーションではないんですよね。さらに高く買うから農薬を使わないでと言っても、彼らは「やる」と言いつつ絶対使ってしまうんです。それはこれまでの監査で腐るほど見てきた。「なんとか認証」は、監査団が帰ったら好き放題やってることが多々あるんです。そういうことは、最初は分からなかった。こうしてできた絆が、生産者のマインドを変える。僕らができることは、発酵してたら高く買って彼らの所得が上がるというだけのことじゃなくて、それ以上のことが今できている。それは、やるまではわからなかった。そういう意味では「不確実性」には、ネガティブだけじゃなくて、すごいポジティブもあるなあ、と。「不確実性」には、もちろんアウトもいっぱいあるけれど、誰もまだわかってない新しい可能性がいっぱいある。そう思うようになりました。
可能性に生きてきたからこそ、これまでの誰も経験できなかったカカオ豆からチョコレートまでの技術を得ていると思うんですが、その技術をもってこれからは?
Dari Kが美味しいと言っていただけるとしたら、それは技術じゃなくて、本当に素材なんです。良い素材ができるのは、現地で農家さんと一緒にやってるから。一方で、パティシエさんや大手のチョコメーカーが持っているのは、どちらかというとチョコレートを作る技術だと思うんです。素材にこだわると言っても、本当にこだわれば現地で一緒に生産することになる。だけど、そうしている会社は僕らだけなわけですから、基本はチョコレートを作る技術で差別化しないといけない。そんな中で、僕らが素材の割合をもっと大きくすることで、今のプレイヤーの人たちが「そんなこともできるんだ!」と素材の部分でも変えることができるということがわかったら、みんなのアプローチが全然変わってくると思うんです。だから、僕らが今やっているのは、「そもそもなんでチョコに砂糖を入れるのかというと、カカオ豆が苦いからじゃないか」というところなんです。カカオ豆が苦いから、チョコとして食べやすくするには砂糖がいる。だけど、もしカカオ豆自体が苦くなかったら砂糖を入れる必要がなくなるんじゃないかな、と。「カカオ豆=苦い」という固定概念を外して、カカオ豆を発酵させるときに、酵母を変えたらそういうこともできるかもしれない。そう思って、いろいろな実験をはじめています。
うまくいくと1・2年後には、無糖でカカオ豆100%、だけど美味しいチョコレートができるかもしれない。
チョコレートの0ポイントをずらす。どこからがチョコかという概念を変える、ということですね。
例えば、絵の具や紙、それで作品つくって最終商品にしたらあとは価格に天井がないのが芸術ですよね。絵の具や紙のままなら、価格は上がらない。Dari Kのチョコも1万円でも買う人はいると思うし、100万円でも買う人はいると思う。でもただのカカオ豆なら、相場が100円なら100円でしか買われないわけです。そういう意味で、芸術っていうのは経済においても可能性を取っ払えることなのかな、そう思います。