理の小噺 第1話「更地に戻す」

江口 海里さんによる連載
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あるクライアントとのミーティングで、私はアフリカ象の群れの写真を見せ、このように伝えたことがあります。
「これらの象は大小様々で、少し太っていたり痩せていたり、歳を取っている象もいればまだ幼い象もいます。しかし基本的な身体構成は同じなので動作するときの身体それぞれの役割はみんな同じです。またこの姿で何世代も遺伝されてきたので、この姿はこの環境に最適な構成として成り立っています。この象と同じように、私たちがこれから生み出す物事の構成も、できるかぎり最初から最も正しい構成にしておかなければなりません。」

私のクライアントは、世界一白物家電を生産する中国の大企業もあれば、幕末から刀鍛冶を営みその技術を受け継いで現在はプロ用の包丁を製造販売している老舗の包丁屋もあります。時には東大阪にある金属に穴を空ける加工のみを得意とする町工場など、多種多様な業態、歴史、経営者の経営観と共にデザインを育んでいます。
多様なプロジェクトを常に同時並行で進めているわけですがいつもはじめにすることは同じです。それは「更地に戻して考える」ということです。

「本当に人々にはデザインが必要なのか」

人はなぜデザインするのでしょうか。また、デザインがなぜ今必要なのでしょうか。近代デザイン史を見る限り、デザインという言葉が一般的になった時にはすでに商業的な側面を強く持っていました。一方でデザインという言葉が出現する前から、意味として同じような行為はすでに存在し、生きる知恵として活用されていました。私はこの行為を「理(ことわり)」と呼んでいます。デザインは「理」を発見し、対峙し、時には作り、そして伝えることだと思います。
「理」という言葉には物事の道筋という意味があります。同時におさめる、整える、筋を通すという意味もあります。
今私たちが行っているデザインは、基本的には〈人間界〉の中で行われることだと考えています。〈自然界〉にはすでに素晴らしい「理」が存在し、デザインがそれらを超えることはできないと考えるからです。
しかし、〈人間界〉は本来的に〈自然界〉に内包されているはずです。そう考えるとき、私はこの疑問に突き当たるのです。「本当に人々にデザインは必要なのか」と。
数多く存在するデザイナーの中で、このような根本的な疑問を抱いたことがある人がどのくらいいるのかわかりませんが、以前から私はこの疑問に対して興味を持ち、自らのデザインにフィードバックしたいと考えてきました。そのためには私は「理」と向き合い、デザインを通じて一つ一つを発見し、咀嚼していく必要があると思っています。そしてこの連載を通じて「理」の検証をしていきたいと考えています。

「理」には、その背後に時代や社会が投影される

「理」の成立条件を、3つの時代のデザインを探ってみたいと思います。
人が農耕を始める以前にまだ狩猟活動をしていたとき、より効率よく狩猟をしなければならないという目的に対して、工夫して考えられたのが矢じりです。先端をとがらせることで殴打ではなく、内部に深く刺す新たな方法で生存をかけたミッションに革命をもたらしたのかも知れません。
ここでわかることは、「理」が生まれるときには必ず問題が発生しているということ。問題に直面したときに、新しい「理」を見つけることにより解決に至ります。
一般的に現代の工業デザインの基礎とされるバウハウス(1919-1933)がドイツのヴァイマルに設立されるはるか昔、言語すらコミュニケーションツールとして成立していたかわからない原始の時代のヒトがその「理」に至るまでのインスピレーションに思いを馳せたとき、狩猟中に仲間が動物の爪や牙により傷つき時に力尽きたことから、石を尖らせて獲物に対して同じことを実現する着想を得たのかも知れません。真相はわかりませんが少なからず相手からのフィードバックを得ていると思います。
社会から学ぶことで培われ、得られたものごとを堆積させたものが「理」であるとも考えられます。流れゆく時間の中で要件(問題点)は常に変化し、それに順応しなければならないタイミングが来たときに、考えた解決策としての「理」が生まれるように思います。

日本の工業デザインの歴史を振り返れば今なお愛され続ける多くの名作が存在します。たとえば天童木工のバタフライスツールやホンダのスーパーカブ、キッコーマンの醤油差しなどがあります。今なおその輝きを失わず時間軸(トレンド)から離れ、いつまでも世界を代表する日本の工業デザインの名作とされるデザインが数多く生まれたのはおそらく1950~1970年代くらいだと思います。
それらの誕生と歴史を照らし合わせると高度成長期にぴったり当てはまります。敗戦により全て失われ、物資や資源が無い中で日々生きるか死ぬかを問われ続けた時代に、新たに物を作り出す行為に込められた想いは何だったのでしょうか。また、これは「理」を考えるための一つのヒントになるのではないでしょうか。
現在の日本を代表する産業の多くは戦後の町工場から始まりました。今なお語り継がれる創業者たちの至言の多くは、いつも「大衆の暮らしへの貢献」を感じ取ることができます。戦後のバラックで暮らす人々に、自分たちが物を作り届けることで笑顔が生まれ、大変な暮らしが少しずつ楽になり、目に見えて暮らしが豊かになるのを一歩一歩轍を踏みしめるかのように実感していたのではないでしょうか。自主的に生まれた使命感により、短い期間で苦しい時代から世界が驚くほどの目覚しい発展を生み出したのではないでしょうか。その使命感には、「このような社会にはこのような物(やデザイン)が必要ではないか。」という「理」を具現化する想いを、名作の数々から私は感じ取ることができます。
ブランドいう言葉が定着する以前の話で、当時のデザインは明日の暮らしを今日より良くするための創意工夫が込められた崇高かつ純粋な「理」であったため、今なお輝き続けていると私は思います。

一方で、私が生まれたのは1980年です。そのさらに35年前(1945年)に日本は敗戦しました。その情景を私は自分の目で見たわけではありませんが、街や家屋は徹底的に破壊され、多くの人が犠牲になり、日本はその大部分を失ったと聞いています。時は経ち、私がデザインを学び始めたのは1995年。敗戦から50年が経過したその時代に、すでにデザインは形式を持ち、デザインメソッドを私は学びました。しかし学校で学んだデザインには社会背景の投影は非常に薄い物として感じました。その頃は今より国や社会が安定していたように思います。
私が幼少期を過ごした80年代、青春期を過ごした90~00年代は豊かだったように思います。ここで言う豊かさとは「物に困らず、多くを安全に選択することができ、それらの全ては高い水準によって形成されている状態」です。その定義から判断するとバブル末期から、00年代くらいまではそれは間違いなく豊かだったと思います。
その頃の時代に生まれた物で、現代もしくは未来まで残れるデザインはどのくらいあるのかを考えてみると、批判を覚悟で言うならばそれはすごく少ないように思います。ブランドを前面に押し出した、ポジティブな言葉で言うならば活気に満ちた時代であり、またインターネットが誕生して以後、情報でカオスを形成するような情報過多な時代の中で、デザインの焦点は戦後のような「暮らし」という水準にまで落ちずに表層的な物の在り方で語られてきたのではないでしょうか。
また時代の変化についていけず淘汰されたのかも知れませんし、目まぐるしい変化に応じた結果なのかも知れない。すなわちそこに「長く続けるためにどうするか」という4次元的な配慮がなければ「理」とは言えず、時間の流れに流されてしまったように思います。私がデザインを「理」と捉えられる一つの要因として、これからのデザインには4次元的な視点(t)への配慮があるかどうかが問われます。
俯瞰的に考えたとき、真っ白なキャンバスに点(1次元)を落として問題点に着目し、アイデアに結びつく事で線(2次元)になり、それらが物質化(3次元)する所までは多くの物ができていると思います。そこまででも良いプロジェクトも多数存在します。
しかし、もし多くの物を長く生き残らせたいと思うのであれば、「理」を見つけて未来に進むにしたがって価値が高まるような物を生み出すことが理想だと思いますが、それは簡単ではありません。多くの物は一番価値が高い状態に生まれ、時間という風雨にさらされて価値が下がるからです。少なくともデザイナーは単純な物質に対してはそのような摂理の中で抗い続ける事を要求されています。

ここまで書いて「理」を言葉で完結に書くのは難しいと改めて思いました。ただ上記のように「理」の成立条件のひとつに、時代(変化)への順応が存在するのであれば一つ手がかりがあります。
冒頭の「更地に戻す」という話です。

「更地に戻して議論しましょう」

物や情報であふれた現代に存在するデザインをもう一度しっかりと観察したとき、その中に「いつの間にかこういう物になってしまっている」という要素が散見されます。私はそこに「置き忘れた本質」を感じます。デザインを考えるとき、最初に私は構成を更地(何もない状態)に戻します。ハンドルの位置、ボタンの位置、フタの開閉方法などの各要素を一度更地に戻し、客観的にその後の暮らしに最適な状態にするにはどのようにすればいいかを考えます。クライアントから無条件に与えられる要件であってもその対象には変わりありません。
「本当にこれでいいのか。ほかの方法はないのか。こうなったルーツはなんだろう」と私は自問をはじめます。今近くにある物のデザインがなぜそのようになっているのかを全て完結に言える人はそれほどいないと思います。作った人も「これはこういう物だから」となおざりにし、いつからか時代に引きずられてきた「本質とは別の理由」がそこにこびりついているように感じます。
さらに深く自問したとき、「なぜこの要件が存在するのか」という次元まで掘り下げます。クライアントと共にその要件を見直すフェーズを持つこともします。全員がその意義に納得した上でなければ力強く伸びて行く物を建てることはできないと思うからです。力強く伸びる物が建てられなかった場合は時代の変化により消え去ることでしょう。冒頭の話でいうならば、象は現在の姿になる前に絶滅してしまったかもしれません。
この「更地に戻してからビルドアップする方法」は、引き出しや押し入れの中の物を一度全て外に出してもう一度そこに詰め直す整理方法に似ています。それらは本当に必要なのか。必要な場合どの程度必要なのか。どの程度の頻度でそれは使われるのか。どういう保管状況にしておくべきなのか。その引き出しや押し入れは自分だけがアクセスするのか、他人もアクセスするのか、暗所なのか窓があるのか。事実と照らし合わせながら自問します。そうして「置き忘れた本質」を再び問い直す機会を得るのです。
最後に残る究極の自問は「なぜ私はこの引き出しを整理するのか」です。プロジェクトに例えるならは「なぜ我々はこれを作らなければならないか」というレベルまで差し戻すということです。そこに明確な回答が無いまま何かを作ってしまった場合、それらは短命に終わって当然であり自ら生きる意志が無い物を作ったことと等しいと思います。必要なことは未来を生きていく為の明確なビジョンや意志であり、私はその意志を汲み取って、クライアントの代わり物質化する。それが私の仕事だと考えています。
工業デザイナーとは製品をデザインする職業なのですが、最近は物だけにとどまらず物の周辺のデザインまでする機会が増えてきました。製品デザインの依頼がきっかけでありながらそれに伴うパッケージや販促物、取扱い説明書、新しい名刺のデザイン、名刺を変更する為にブランドロゴもの再度デザインします。さらにはブランドロゴをリデザインする為の理念の整理と再可視化まで行います。まるで川を遡るような作業進行ですが、その中で散見される弊害的な要素が「いつどのように生まれたか」が不透明な場合が多くあり、ここに「更地に戻す」意味が見いだすことができます。
「理」を見つける為の組織作りは、デザイン業の昔ながらの縦割り分業ではなく横割りの協業、もしくはアメーバ状に共有化されたネットワーク状に進化しなければなりません。プロジェクトに関わる人から人へと伝達される際に起こる「意志の減衰」を最大限減らしながら物を作り上げる必要性があるからです。「意志を中心に据えた物作り時代」の到来です。
一度作るとそれらはずっと残っていく前提でデザインしなければならず、その時に何を遺していきたいかをしっかり自問・議論すること。その意志や結論が強いほど未来に残り、やがて社会を変えて行く力を自ずと持ち始めると思います。川の流れを恒久的に変えるのであれば、水面に細工するのではなく川底の石の配置を変えるべきなのです。
その時起こした変化が下流にどのような影響があるかもしっかり見極めておかなければなりません。「正しく石を置き換える事」も「理」の一つなのだと思います。

電気量販店のチラシの上に美しい絵画を描くような時代に

私は欧州に時々行きます。中国をはじめとするアジアには頻繁に行きます。海外に行くたびに日本が客観的にどのような状態なのかを知ることができます。私はここまで混沌とした国は他にないと思います。景観保全という意識が低く、無秩序に建てられるビル群、舗装されたてのきれいな歩道の上に水道工事のメモがスプレーで描かれ、青い空を遮るタワーマンションや交差する電線…。新たに何かを作る時に、もし4次元的な配慮があったならばこれらは全て正しくデザインされ、欧州の美しい町並みのようにより洗練された国になったことでしょう。
一方でこのようなカオスな日本が魅力として海外に認識されているのも事実ですので、一概にこれらを全て否定する事もできません。最近では文化なのかも知れないと思っていますが、世界的に見てサブカルチャーの域を出ず、結局旅行者の多くは日本らしさを感じたいがために京都へ行くという事実もまた存在しています。
戦後復興や高度成長期を真っ白なキャンバスだと捉えるならば、今の混沌とした時代に長く生き続ける物を生み出すことは、まるで電気量販店のチラシの上に美しい絵画を描くような行為かもしれません。しかし私は「理」を見つけ出し、強い意志を持って具現化に取り組む事ができたならば、新たな絵を描く事ができるように思います。
混沌の時代でのデザインのするべき役割は、まず「更地に戻すこと」、そして「正しく整理し置きなおすこと」だと思います。さらにその前に全ての要素を並べてこれらは本当に必要な事なのかを問いかけなければなりません。それらを遺した時にちゃんと未来良しとなるのかを前提に整理し良くないものを捨てなければなりません。近い未来に必ず冒頭の問いに戻ることでしょう。
資源は枯渇し、環境は悪化し、人口は増え続け、保守的な考えが蔓延し、これまで世界が取り合っていた手を離し始めたこの時代に「本当に人々にはデザインが必要なのか」
私は必要だと思います。
人々を安全に、限られた資源を守るために、環境を改善するために、適切な世界に戻して行くために。〈人間界〉もまた、〈自然界〉のように「理」に満ちた世界であるために。

壮大な話ですが、それらが叶う未来を願いながら一つ一つの「理」を解き明かして行きたい。やがて人々の暮らしへの貢献を実現するために。
TEXT BY
江口 海里

江口 海里

デザイナー

大阪生まれ。大阪市立工芸高等学校、大阪市立デザイン教育研究所にてプロダクトデザインを学び、8年の下積みを経て2008年に自身のデザインスタジオを大阪に開業。ミラノ、ロンドン、台北、上海、東京など世界各地のデザインエキシビジョンに参加し、現在はアジア圏をフィールドに工業デザインを中心としたデザインブランディングを各国のクライアントと共に行っている。 http://kairi-eguchi.com/

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