PLAY ONのはじめ方

―「DOの肩書き」と「BEの肩書き」―
CategoryThoughts
TAGS #KYOTO#PLAY ON

PLAY ONしている、とは何か

結局のところ、「PLAY ON」って何だろう? もっといえば、わたしはPLAY ONしているかな? あるいは、PLAY ONできそうかな? 「PLAY ON」という言葉を聞いたとき、そんな問いが浮かんだ方も多いかもしれません。せっかくなのでここでは、「ひとりひとりにとってのPLAY ON」について、一緒に考えてゆけたらと思います。
とはいえ、僕自身にもまだ「PLAY ON」とは何かについて、答えはありません。辞書には「遊びつづける」とあり、はたまた「翻弄する」とあり、「(音楽の)調べ」ともあり、「a stage to play on」とすれば「活動の場」となり、「play on words」とすれば「だじゃれ」となる。よくわからないような、でも何だか共有できそうなニュアンスの豊かさに惹かれている。それが今の素直な気持ちです。
ただ、「僕はきっとPLAY ONしているんだろう」という予感は確かにあります。どうしてかというと、今回登場した「PLAY ON」な人たちの共通点を掴めたような、そして、それは僕自身も含めて多くの人が当てはまりそうな、そんな気がしたからです。

「BEの肩書き」という共通点

と、おそらく「初めまして」の方がほとんどだと思うので、簡単に自己紹介をさせていただきます。
僕はいま、「勉強家」という肩書きで活動しています。何だか不安になった…という方は、どうぞご心配なく。2015年までは社会的な課題をクリエイティブに解決する「ソーシャルデザイン」をテーマとしたウェブマガジン「greenz.jp」の編集長を5年ほど務め、37歳の今は京都精華大学の特任講師として、人文学部生にソーシャルデザインを教えています。また、研究者として、ひとりで/みんなで勉強(co-study)するための空間づくりの手法「スタディホール」を研究したり、著述家として、弘法大師・空海の教えをソーシャルデザイン教育に応用する『空海とソーシャルデザイン』や、社会起業家や音楽家などさまざまな人の勉強習慣を明らかにする『学び方のレシピ』など、いくつかの連載を展開しています
さて、ここまでの「特任講師」「研究者」「著述家」という肩書きは、所属や職業など「DO」=「やっていること」についての紹介でした。そして、その前にあった「勉強家」という肩書きは、「DO」というよりも「BE」=「あり方」の表明なのでした。もし違和感を覚えた方がいたとすれば、「DOの肩書き」と「BEの肩書き」、2つの響きの違いにあったのだと思います。
そもそも肩書きの役割は、自己と他者のあいだのコミュニケーションをより円滑にするために、「わたしのこと」を端的に知ってもらうための糸口を提供することです。だとすれば、「何をやっているか」という「DOの肩書き」を名乗るのが普通であり、わざわざ「どうあるか」という「BEの肩書き」を意識する機会はほとんどないでしょう。
でも、当たり前のことではありますが、同じ「デザイナー」という職業であっても、ひとりひとりによって完成したデザインは何だか違います。仕事の進め方や普段の習慣においても、何らかの個性があります。それは、どうしてでしょう?
その問いに対する僕の仮説が、想像力をかき立てる「詩人としてのデザイナー」と、的確に課題を解決する「医者としてのデザイナー」と、とにかく豪快な「冒険家としてのデザイナー」が違うように、「BE」としての「DO」、あるいは「DOの肩書き×BEの肩書き」が仕事の個性を決めているのではないか、ということです。そしてそれは、100年先まで人々の想像力を広げ、持続可能な社会の実現を目指す「社会活動家」としての「八百屋さん」である小野邦彦さんのように、「PLAY ON」な人たちにこそ共通しているように思えてきたのです。

ユーダイモニアとオーセンティシティ

ここで注目したいのが、「よい生き方」を科学的に研究する「ポジティブ心理学」の分野で研究されている「ユーダイモニア」というキーワードです。これは「快楽としての幸福感」である「ヘドニア」と対の関係にあるもので、その人に向いている、あるいは、そのための鍛錬さえも楽しくてしかたがない、といった「個人的充足感としての幸福感」のことを言います。
そういう意味では、「PLAY ON」な人たちとは、まさしくユーダイモニックな仕事を実現している人たちであり、そのような天職と出会うためのヒントが「DO×BE=?」というシンプルな公式なのです。
「BEの肩書き」の種は、既に私たちひとりひとりに備わっています。例えば「母としての食堂店主」である西村和代さんのように、「母(あるいは父)としてできることは何か」という視点を得れば、母である、父である、というだけで、他の人の役に立つことが見つかるかもしれません。あるいは「建築家としての編集者」である榊原充大さんのように、「建築物を建てずとも、建築家として貢献できることは何か」という視点を得れば、園庭に素敵な小屋をつくってくれる「建築家としての保育士」として、かつて描いた「建築家になる」という夢を叶えることができるかもしれません。
とはいっても、もちろん肩書きに縛られる必要はありません。格好つけていえば、僕自身、究極的には「わたしの仕事は<兼松佳宏>」だと思っています。それでもなお、表面的ではなく本質的に他者ともう一度つながり直すために、敢えて「肩書き」という一般的な慣習を利用しながら、自分らしい「働き方」を見直してゆく。「BEの肩書き」とは、そんな試みなのです。
ちなみに僕が「勉強家」を名乗り始めたのは、30歳のときでした。20代の頃は、当時、無意識に抱いていた「地方(秋田県)出身」というコンプレックスを乗り越えるために、「クリエイティブ・ディレクター」「デザイン・ジャーナリスト」「チーフ・スピリチュアル・オフィサー」など、横文字の肩書きを渡り歩いてきましたが、当時の悩みは、名乗るのは簡単だけれども、その道のプロにはなれない、というミーハーのジレンマでした。
すべてがアマチュアで、「得意なこと」がわからない、フットワークが軽いだけで、自分には何もできない…そんなふうに自信を失っていたとき、福音として響いたのが「兼松くんって勉強家だよね」という、いまは記憶にない誰かからの一言でした。
「勉強家かあ、悪くない」→「確かに秋田を出るには勉強しかなかったし、都会で地方出身のハンデを埋めるには独学しかなかった」→「でも、どれだけ独学しても、結局のところ専門家にはなれなかった…」→「ならばいっそ、“アマチュアであること”のプロになろう!」
紆余曲折を経て心からそう思えたとき、よく言われる「自分らしさ」や「自己肯定感」というものが、生まれて初めて腑に落ちたのです。遠回りした甲斐がありました。
このような「本来の自分である」という実感は「オーセンティシティ」とも呼ばれ、ビジネスだけでなくソーシャルイノベーションの分野でも注目されています。「京都市ソーシャルイノベーション研究所(SILK)」のアドバイザーも務める井上英之さんは拙著『ソーシャルデザイン』の中で、「しっかりと地に足を付けた感覚があってはじめて、社会にインパクトを残すようなプロジェクトを実現できる」と強調しています。
また、MITのオットー・シャーマー氏らが提唱する最先端のリーダーシップ理論『U理論』にも、「真正の自己(Authentic Self)」という言葉で登場します。「エゴイスティック」とは一線を画す「オーセンティック」な状態で初めて、私たちは思考も心もオープンになり、諦めや恐れといった過去のパターンを手放し、未来の最高の可能性を感じ取ることができる。そのような資質こそが、豊かな創造性を発揮している人たちに共通しているというのです。

「BEの肩書き」の見つけ方

ここまでをまとめると、何やら「PLAY ON」な人たちが確かに存在し、彼らはユーダイモニックかつオーセンティックである、という共通する性質をもち、「DO×BE」というはたらきによって、仕事の個性が表現されている、ということでした。
では、どうすれば誰でも「BEの肩書き」を見つけることができるでしょうか? 詳細は別稿に譲るとして、最後にいくつかのヒントを検討してみたいと思います。
最初の一歩は、「好きなこと」の中からヘドニアとユーダイモニアを見極め、ヘドニアを手放し、ユーダイモニアを深めるための時間を用意することです。もちろん、さまざまある対象の中から少しでも心惹かれたのだとすれば、ヘドニアとはいっても何らかのご縁はあるはずです。無下にゴミ箱に捨てるというよりも、いつかの「ユーダイモニア」の種として、引き出しの中に温めておいてください。
次に、以下のような内省的な問いと向き合います。すべてにではなく、答えやすいものだけでOKです(ペアやグループでインタビューしあうのもオススメです)。
  • 時間が経つのも忘れてしまうくらい、情熱を持って取り組んだ、取り組んでいることは?(例:調べ物)
  • あなたにとっては当たり前でも、二人以上から「すごいね」と言われた、言われることは?(例:本を読むこと)
  • 大変なことが起こったときでも、何だか続けられた、続けられることは?(例:文章を書くこと)
  • 「人に先を越されたら悔しいなあ」と思うことは?(例:プロの「勉強家」が出現すること)
  • 13歳頃にやっていたこと、興味があったことは?(例:英語)
  • いつか名乗ってみたい肩書き、憧れている肩書きは?(例:哲学者)
続いて、浮かび上がってきたキーワードを象徴する職業名をブレインストーミング的に挙げてゆき、最終的にひとつに絞ります。ペアやグループの場合は、お互いに「BEの肩書き」を贈り合うのもいいでしょう。しっくりくるまで、どんどんいろんな肩書きを試してみてください。
最後に、もっとも大事なのは「DO×BE=?」ということで、「BE」に根ざした、日々の所作としての「DO」を描いてゆきます。社会からの求めに応えていくために、そして、導かれるままに自ら動いていくために、「BE」と同じくらい「DO」も大事なのです。とはいっても、転職しなければ、とか極端な話ではありません。創造性の源泉である「BEの肩書き」のレンズを通してみれば、「この状況だからこそできること」がありありと浮かんでくるはずです。
ここでヒントとなるのが、「BEの肩書き」ならではの「強み」を動詞として表現してみることです。「強み」とは、勉強家でいえば「気付きがあるような質問をする」「関連なさそうな知識をつなげる」というふうに、「自分の力が充分に発揮できるふるまい」のこと。あなたらしいふるまいを再発見することが、あなたらしい仕事を新たに形作っていくのです。

「DO」から「BE」へ、そしてもうひとつの「DO」へ

「学生」や「会社員」など、与えられた役割としての一般的な「DOの肩書き」から始まり、やがて忘れかけていた「BEの肩書き」を取り戻したとき、私たちはもうひとつの肩書きを創造することがあります。それは、投企的な「DOの肩書き」です。
やや難解な哲学用語である「投企」とは、「(空間に)投じる」「デザインする」を意味する「project」にあたります。敢えてシンプルに言えば、「何かしらの主体的なプロジェクトを持つ」ということです。
昨今のさまざまな研究によって、大きく“社会”を変えつつあるプロジェクトであっても、ほとんどの場合“個人”的な強い思いをきっかけにスタートしていることが次第に明らかになってきました。民主政治の歴史をみれば、20世紀までは、好きなときに、好きな場所で、好きな方法で、好きなことが言える「表現の自由」が求められてきましたが、21世紀に生きる私たちは、それに加えて、好きなことを投企できる「プロジェクトの自由」へと歩みを進めているのです。
そんな時代における「BEの肩書き」の探究とは、僕自身がそうだったように、人生における壮大な“伏線回収”なのかもしれません。螺旋上昇を描いて果たされたかつての自分との再会が、願わくば<あなたの名前>という神話の一番のハイライトとなりますように。そして、すべての存在が、「PLAY ON」という至福を追求できる日が訪れますように。
TEXT BY
兼松 佳宏

兼松 佳宏

勉強家 / 京都精華大学人文学部 特任講師

1979年生まれ。ウェブデザイナーとしてNPO支援に関わりながら、「デザインは世界を変えられる?」をテーマに世界中のデザイナーへのインタビューを連載。その後、ソーシャルデザインのためのヒントを発信するウェブマガジン「greenz.jp」の立ち上げに関わり、10年から15年まで編集長。 2016年、フリーランスの勉強家として独立し、著述家、京都精華大学人文学部特任講師、ひとりで/みんなで勉強する【co-study】のための空間づくりの手法「スタディホール」研究者として、教育分野を中心に活動中。 著書に『ソーシャルデザイン』、『日本をソーシャルデザインする』、連載に「空海とソーシャルデザイン」「学び方のレシピ」など。秋田県出身、京都府在住。一児の父。http://studyhall.jp

関連する記事