おくりみち 第1話「わたしに」

兼松 真紀さんによる連載
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娘が2歳か、3歳くらいのときだっただろうか。
彼女は、紙を切ったり、鉛筆やペンで不思議な模様を描いたりしては、わたしに持ってくる。
わたしが、「あら、かわいいね」とか「ありがとう」と言って受けとると、何度も同じことを繰り返す。
そんななか、ある日突然、これまで一色で描いていた絵が、何色も使った色とりどりの絵になったりすると、
「え?!こんなことできたの??」
「どうして?いつのまに?」
と、わたしはビックリしながら、自分では分からなかったのだけれど、多分、明るく表情を輝かせたんだと思う。
わたしが「かわいいね」とか「ありがとう」とか言う時とは違って、娘は格段に嬉しそうに跳びはねて喜んだ。
もしかすると、わたしたち人間にとって「嬉しそうに驚かれる」というのは、「感謝される」「褒められる」以上の、本能的な喜びの欲求なのかもしれない。と、そのとき思った。
わたしたちは、だれかにとっての「嬉しいおどろき」でありたい。
そう願う生き物なのではないか。

娘を産んだとき、人のなかから、もう一人、人が出てくるなんて、不思議だなぁ。とつくづく思った。
何も無かったところから、無かったモノが生まれてくる。いのちは、そのものが世界にとっての「嬉しいおどろき」みたいなものだ。
胎内記憶(産まれてくる前の母親のお腹のなかにいたときや、その前の記憶)を保持しているという子どもたちの話のなかでは、子どもたちは、
「みんな、おみやげを持ってここに来る」
と話す。
それはプレゼントのこと?と、大人が聞くと、そう。と答える。
わたし、というおみやげを、わたしに、子どもたちはこの世界にやってくる。
わたしに、あいにやってくる。
あいを、わたしにやってくる。
2010年頃から、わたしは、サプライズプレゼントをあちこちに仕掛けて小さなしあわせを増やしてく、という活動をしていた。それは、
「もしも、日々の糧となるお金を稼ぐ、ということを考えないとしたら
わたしは、何になりたいだろう?」
そんな単純な疑問から始まった。

わたしたちは、人生の様々な場面で、
「将来、何になりたいの?」
と問われることがあるが、そこにはすでに、その問いを屈曲させるような社会性、空気が蔓延している。
「あなたは、何になりたいの?」
大人がそれを子どもに問いかける時というのは、おしなべて、医者や弁護士や、スポーツ選手、芸能人、学校の先生、運転手、ケーキやお花などのお店やさん、と何かしらの現代にすでにある職業を期待している感じがあるし、小学校高学年や、中学生にもなれば、現実的にそれで「食べていけるのか」「稼げるのか」ということを考慮させる動き、空気が周囲に働いているのを、子ども時代のわたしは、それとなく、だけど、しっかりと感じとっていた。わたしは、小学校六年生の卒業文集に、
「将来は、ケーキ屋さんになって、自分のウェディングケーキを作るのが夢です。」
と書いた。けど。それが真実であったかと言えば、そんなことはない。当時、お菓子作りが好きだったので、なんとなく、そう書くと、文集に載せる作文の体裁がよくなりそうに思ったからだった。
中学生になると、映画を創りたいと思うようになっていた。その思いは、高校生まで続いたが、広島の片田舎で暮らしていた私は「でも、ムリだろう」と、いま思うと、あまりに簡単にあきらめていた。そんなのまったく不可能な夢物語なんかではないよ、と、いまのわたしなら言ってあげられるのに。
大学受験をするとき、わたしの頭には、文学部に行くか、英文学部に行くか、という候補が浮かんだが、悩む以前に、文学部にいくよりも、英語を身につけるほうが仕事で活かせそう、という理由で英語を学べる大学を選んだ。
「あなたは何になりたいの?」
わたしは、果たして、その質問に、ただしく答えたことがあったのだろうか・・・。
と、大人になって思った。

いま、大きくなることを待ちわびている4歳の娘は、
「おおきくなったら、まどになりたい」
と言う。理由を聞けば、
「あけてあげて、やさしいから」
「それか、ドアでもいい」
彼女にとっては「あけてあげて、やさしい」ことが大事なのだ。

わたしたちは、いつどこで、そういう感性を失うのだろう。


「あなたは何になりたいの?」
その質問に、本質的な意味で答える機会を逃し続けてきていたからだろうか。二十代になって様々な瞑想をしたり、自己や人生とは何かみたいなことを追求するワークショップや勉強会やらに頻繁に足を運んでいた私は、その問いを、「それによって、お金を稼ぐことが前提だ」という思考の外側で、自分に投げかけることに成功した。
大人になってしまったわたしたちは、質問を細かく噛み砕いて細部まで表現してあげないと、社会に漂っている一般的、思考回路の外に出られず、その本質的な問いかけに答えていけないのが、すこし寂しい。
だけど、ともかく、誰かに言われたのではなく、自分で自分に問いかけた。そういえば、それが最初に大事なことだったようにも思う。
「もしも、日々の糧となるお金を稼ぐ、ということを考えないとしたら、
何になりたいだろう?」
様々な瞑想やワークショップのおかげで、ずいぶんと心も身体も魂も解放されていたんだろう。あっさりと、答えが浮かんだ。
「サンタのよめ」
それが、わたしがなりたいものだった。

わたしは、昔から友達や家族にプレゼントを贈るのが好きだった。だって、喜んでくれるのだもの。そんな単純さで。
友達の誕生日をこっそり覚えていてプレゼントを渡して驚かれるのが嬉しかったし、父や母にプレゼントを準備したら、喜ばれる瞬間が待ちきれず、いつもお祝い当日よりも早く渡してしまっていた。
プレゼント、といえば、サンタだろう。なんたって、サンタクロースは世界中の子どもたちのプレゼントを用意するんだ。その準備はさぞ忙しいはずだ。忙しすぎて、子どもたちの願いをうまく聞き取れないかもしれない。せっかくのプレゼントが、願いと行き違ってしまうのは残念なことだ。だけど、サンタさんはいつだって、ほとんど間違わずに子どもたちにプレゼントを配り終える。その裏には、その大業を支える「よめ」がいるに違いない。わたしは、その座を狙いたい!と、結婚願望もないのに(というか、むしろ現代の結婚制度に反対していたにも関わらず)、思いついた。
『夢のおはなし』

夢を語るとき、
「現実的に生活していけるのか」
ということも考慮して発想するようになったのは、
いつからだっただろう。
もう一度、自分は何がしたいか、まっさらな心で考えてみる。
「あなたは何になりたい?」その質問に、いまなら、
「サンタのよめになりたい。」と、私は答える。
「理想の職業は?」
と、聞かれてもだ。
もちろん、北欧系の顔が好みとか、トナカイが引くソリの助手席に憧れるとか、
白ひげで赤い服にお茶目な帽子が似合うおじさんが好き、とか、そういうことではなくて。

思うに、サンタのよめであるならば、
年中、子供たちのプレゼントを何にしようと考えるだんなサンタのそばで、
一緒になってあれもいいね、これもいいね、とか、言っているはずで、
子供の喜ぶ姿を想像してうれしそうに活き活きと仕事するサンタの様子をみながら、
ときおり、ラッピングを手伝ったり、
いつも少し多めにプレゼントをみつもるサンタに
「またこの人はふんぱつして、しょうがないなぁ」とか思いながら、
微笑んでいたりしたいのです。

クリスマスも近づけば、徹夜ぎみなサンタにあったかい紅茶を入れ、
デスクでペンを持ったまま眠るサンタにそっと毛布をかける。
ときどき、むにゃむにゃ言ってるサンタの横で、
気づかれないように仕事を進めててあげたり。

じゃあ私がサンタになれば?という案もあるけれど、
寒空のなかを駆け抜けて、煙突をくぐりぬけて他人の家に侵入する体力も度胸も私にはない。

子供たちにとってはサンタこそが願いをかなえてくれるヒーローで、
でも、実のところ、そのヒーローをこっそり支えてるのはわたし。
というのが、なんていうか、うつくしくて楽しい。

クリスマスの日は、プレゼントを配り終わったサンタに、
とびきりの朝食を用意して、いつもにましてニコニコわいわい話しながら食事をする。
食後すぐにサンタがウトウトしてしまうのを、
その日ばかりは、そんなことしてると太っちゃうよ、とは言わず、
一緒に寄り添って眠るのです。

そして目を覚ますと、
二人でしばらく休暇を過ごすため、南の島に旅立つ。

眩しい陽射しをあびて、青い空の下、海を見てのんびりしながら、
でも、二人して、出てくる言葉はやっぱり同じ。
「次のプレゼントにこれはどうかな?」

そんなそんな、サンタのよめの日々。

・・・・・・☆
そんな夢物語のような願いも、口にし始めると、不思議なもので、瞬く間に仲間ができ、「活動」「プロジェクト」と呼ばれるものになっていった。
プレゼントというのは、1人で考えると、何がいいのかよくわからなくなってきて、面倒になってくるものだけど、いたずら半分に仲間と考えだすと、そのプロセス自体が遊びのように楽しいものになってくる。
大切な友人や、尊敬する先輩から、たまたまご縁で知り合った方や街角の知らない人たちへ。誕生日や、親の退職記念、NPOの設立祝い、家族へのありがとう、なんでもない日の小さなしあわせのために。
ことあるごとに、仲間を集い、プレゼントを贈ることを通して、わたしたちは、子どものように盛大に遊んだ。

想像してみてほしい。
誕生日近くのある日。
会社勤めが終わって、友達と食事のための待ち合わせをしていると、久しく会っていなかった友人にバッタリ会う。
「奇遇だねぇ」
なんて言いながら、その後も、偶然みたいに街中で、友人が次々にあらわれて合流していく。そしてレストランにつき、食事をしよう、というところで、なかなか自分からはお誘いなどできないような尊敬する大先輩が花束を持って登場したら・・・。
映画を観に行こう、と誘われて、映画が終わって電気が明るくなる。と、隣に花束を持ったあこがれの人が座っていて、その後、一緒に食事を楽しめたとしたら・・・。

出張で海外に出かけようと夜遅く空港に行くと、チェックインカウンターでアテンダントの人から、ナゾの古文書と宝の地図が渡される。古文書の謎を解くごとに、友達が現れ、また新たな指南書を渡されて・・・突然始まった現実世界でのロールプレイングゲームをクリアするとたくさんの友人が待ち構えている。見つけた宝物は、カバンにつまった友人からの手紙。カバンいっぱいの友情つまった手紙を読みながら、夜の空を飛んでいく誕生日。
そんな日が、人生に一度くらいあったら・・・・・・なんとも、
楽しいではないか。
サプライズを受けた人たちの反応は、だいたい決まっていて、最初は呆然とし、状況を把握できない。
「えーー!?」
「なんで!?」
を連発し、
これはサプライズプレゼントなんだと説明しても、
「なんなのこれ!?」
「どうして!?」
「なにやってるの!?」
と、信じらない、という言葉ばかりが出てくる。それならば、こんなに「有り得ない」「有り難い」場面もないだろうに、プレゼントを受け取る場面では必ず出てくる「ありがとう」という言葉は全然出てこない。もちろん贈る側もそんなことは求めていないので、祝福の熱気と感謝と喜びのエネルギー渦巻く空間で、その言葉は意外にも忘れられる。
サプライズを受けたその日はずっと、ふわふわした夢心地のようになって、うまく言葉が出てこないし、思考停止状態、ちょっとした心地よい混乱状態が続く。
そして、一晩二晩たって、メールが届く。それはどれも、
「人生観が変わった」
とか、
「ちゃんと生きていこうと思った」
とか、遊びのようにプレゼントを仕掛けている自分たちの楽しさからは意外なほどにおおきな、人間世界に対する返答なのだった。

さらに面白いことは、プレゼントを贈った人たちから
「誘ってくれてありがとう。」
と、わたしがお礼を言われることだった。
冷静に考えれば、皆、忙しく働いている合間の貴重な時間を使い、そうして稼いだお金を費やし、言ってみれば、「与えている」側の人たちだ。けれど、何か大きなものを受け取ったかのごとく、喜びに高揚し、こんな風に人に喜んでもらえる場面に立ち会え、自分がその一部として関われたことが嬉しい、と目を輝かせる。
わたしたちが演出するお祝いの場では、そうして「贈る人」と「受け取る人」の境界が、大変曖昧になった。遠隔で参加している人もいて、誰がどこまで関わっているのか分からないようになっているし、祝われた人と同じくらい歓喜している大勢の贈っている人がいて、受け取っているのが誰なのかよく分からない、得も言われぬ一体感が広がる。
人が純粋に誰かのためを想うとき、「わたしが、わたしが」という個が消滅する。その瞬間、そこには、さきほどまで、個を存在させていたはずの空間が出現する。
聖なる、いのちを迎え入れるスペースが、調う。
わたしたちは、だれかにとっての「嬉しいおどろき」でありたい。
と同時に、「嬉しいおどろき」を受け取ること、いや、「嬉しいおどろき」のなかで、迎えいれられることを、意識の海の底のような奥深いところで、切望しているんじゃないだろうか。
なぜなら、このいのちは、この世に出現した瞬間から、ただそれだけで、「嬉しいおどろき」として、祝福され、迎え入れられ、喜ばれるような存在だからだ。
それなのに、それなのに。
そのことを体感・実感し、肌で確かめられるような機会がこの現代においては、少なすぎる。
「こんなものでいいか」と、大量生産され、あてがわれた物に囲まれて暮らし、均一化された仕組みのなかで、本来それぞれである個性はのっぺりと平らにならされて。便利で豊かな社会を造るために、「役職」や「肩書き」で呼ばれるようになり、まるで、道具と変わらないかのように扱われる。そんな世界に長くにいれば、人には、毎瞬毎秒変わる色とりどりのこころがあって、意思を自ら発動することができるいのちであること、脈打つ鼓動を持ち、息づく1人の人間だということを、あっというまに自分でも忘れてしまう。
そうまでして、わたしたちが、この社会において、実現しようとしている「豊かさ」とは、いったい、何なんだろうか・・・。

大和言葉の「なる」というのは、木に実が成るように、夜が朝になるように、自然がもつはたらきを人工的に歪めたり抑制しないでいることで、自然のおおいなる力、生産性を開放する、という意味だという。
そういう意味では、大人が子どもに投げかける
「大きくなったら何になりたいの?」
という設問は、それ自体が理屈上は、すでに破綻している。
だからかもしれない。何かに「なろうなろう」としている間は、ここに、しっかりと「いる」という感じが薄れて、知っている街で道を間違えて無駄に迷子になってしまったみたいに、ぼんやり遠回りを歩いているような感じがある。(残念なことに、そのことに気づくのは、たいてい、何かに「なり」そびれたあと、しばらく経ってのことなのだが。)子どもは勝手に大きくなるし、大人になっていく。友達になり、喧嘩相手にもなるだろう。少女はどこかで女になり、だれかのつれ合いとなったり、母親になったりもする。それでいて、わたし、がずっと、わたし、であるということ。そのようにしながら、歴然とここにいる、ということ。
息を吸ったら吐いて、じっとしたり歩いたり、しゃがみこんだり、立ち上がったり、しながら、生きている。ということ。
その、あまりに当たり前に、夜のあとに朝が来て、春のあとに夏が来るみたいに、自然の風景に溶けこんで流れていることを、しっかりと心で捕まえて感ずる機会を自分にひらくこと――娘の言葉を借りるなら、あけてあげてやさしい、その感覚を自分の内側に持ち込み、息づかせること、そうしてはじめて、わたしたちは、いのちに驚き、歓喜に心を芽吹かせる、その感覚に立ち会うことができる、そんな風に思う。
そして、なんと、わたしたちは、そういうことを感じられる「世界」の方にもなれる。わたしは、そうも教えられたのだった。

娘を妊娠しているとき、お腹のなかにいる、白黒の写真から見るには、未だふしぎに思えるその小さな生き物のことを想像しながら、ふと、わたしは、いま、人間でありながらにして、この子の「世界」になっているんだなぁ、と思った。
2次元の世界に生きている蟻にとっては、わたしたちには、垂直に立っているように見える棒の上を歩く時も、地面とひとつづきの一直線上を歩いている感覚だと聞いたことがあるのだけど、いま、わたしが見ているような世界を知らない、おなかの子どもにとっては、未だ、わたしの身体が――あたたくて、ときどきゆらゆらして、絶えずいのちの音が響いているそれがすべての世界なんだろうと。だから、わたしは、彼女にとっての世界を、美しいものにととのえていたい、わたしが、落葉を見るのを美しいと思えば、その景色が彼女の世界にも広がる、だから、なるべく美しいものをたくさんみていよう、この声が響いているかもしれないから、なるべくキレイな声でしゃべろう、確か、そんなことを思った。

母になって別の生命を身体の内に宿す、という経験をしていなくても、あのとき、一緒にサプライズをしていた仲間たち、そして、誰かのことを真剣に想った経験のある人なら、多分、その「世界になる」という感じを、たくさん説明しなくても、分かってくれるんじゃないかと思う。
小さな私が消えて、おおきな「わたし」というスペースになったような、ただただそこにあたたかく広がって、迎え入れるモノとなる、あの感じを。
わたしは あいにいく
おくりものをもって
たいせつなひとのところへ

わたしが それをわたしたら
たいせつな ひとは
ゆっくりと 世界をたしかめたあと
星がこぼれるみたいに
目をキラキラさせて わらってくれる

その瞬間を あい だと
わたしは思う

キレイな星の雫を いっぱいに受けとって
こころは
たっぷりゆたかに ふくらんで
わたしは わたしにいったつもりが
あたらしい わたしに あいにいったきもちになる

これが わたしあい
わたし あい

私は会いに行く
贈りものを持って

渡し合い
私に会い
我足し合い
私 愛 になる
COVER PHOTO BY Rin Takahashi
TEXT BY
兼松 真紀
兼松 真紀
文筆家

広島県出身。京都在住。ゲームデザイナー・シナリオライターを経て、いまは、子育てをしながら、執筆やワークショップなどを行っている。2010年より、サンタのように贈り物を届けたい人を応援し、幸せの循環をおこす「サンタのよめ」をはじめ、現在は、プレゼントを育てて贈る「プレゼント・ガーデン」をつくることを夢見て、庭先の畑と仲間とのコミュニティ農園で自然農の実践と共に、タイニーフォレストガーデン(小さな森庭)づくりをしている。魔法研究家として、主に植物の魔法、ことばの魔法を研究中。

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