おくりみち 第2話「川」前編

兼松 真紀さんによる連載
CategoryThoughts
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ほとんど無意識の領域で流れている川がある。
意識されていなくても、それは厳然と存在する。
わたしたちは、その川に浮かぶ船に乗っていることに、普通、気づかない。
 
社会、とか、時代、というのは、そういうものだ。
「サンタのよめ」になりたい。と言っていたら、「サンタになりたい」という人があらわれて、結婚することになった。
子ども向けのおとぎ話みたいな単純な展開だ。
彼はしばらく、私の友人に会うと「サンタのよめの夫です」と、複雑な自己紹介をした。
 
彼と一緒に暮らし始めて半年ほど経った頃、3年近く続けていた仕事のプロジェクトが急遽制作中断になり、わたしは、仕事を失い、生活も心も、ちょっとした不安定さを抱えていた。
一緒に住んでいた彼が、これをきっかけに、「サンタのよめ」の活動を事業化していけばいい、と応援してくれ、わたしも、「そういうメッセージかもしれない」と、頑張る気でもいたけれど、パリパリの起業家資質やビジネスセンスがあるわけでもなく、長いあいだ企業で働き、いただいたお金で生活する、ということに慣れていたわたしは、「交換者」の対象から外れ、社会の一員としての役目を果たせていないような気持ちになって、おおかた自信を失っていた。
 
その年の誕生日、どう過ごしたい?とサンタに聞かれ、
「川辺で本を読みたい。」
と答えた。
素朴でなんでもないようなことで、だけど、本当のことだけがあって、心がしっとりと静かに落ち着けるような、そんな時間がほしかった。
本好き、勉強好きな彼は、
「いいね!」
と、二つ返事で喜んで、友人が紹介してくれていた奥多摩の宿に一泊して、川で読書しよう、というプランを考えてくれた。  

出発前、荷物を準備している彼を見て、わたしは、一瞬、戸惑いに立ち止まった。海外旅行用の大きなスーツケースがリビングに広げられ、そこには、一泊では到底読みきれない量の本と、小さな本棚までもが不格好に詰め込まれてあった。
「これ・・・重くない・・・?」
わたしは、いつものトートバックに本を2、3冊入れて、ちいさく気軽に、行ければよかったのだ。
「いや、こういうのはセッティングが大事だから。それにこういう方が楽しいじゃん。」
と、止めようのない喜悦を放ち、彼はその、わたしでは一瞬持ち上げるのがやっとの重さのスーツケースを持って川へ向かった。  

実際、川に着くまでは、東京とは縮尺の違う、遠くの山まで見渡せる長い長い道があって、川辺に下りていくには、デコボコとした急で狭い階段を何段も下りなければいけなかった。7月の陽光は皮膚を焼くように差してきて、ふらふら歩く私に
「ゆっくりきていいから」
と、彼はスーツケースを抱えるようにして運び、川辺についたときは、彼がもう何年も着ているというお気に入りデザイナーのストライプのシャツは、泳いだあとみたいに、汗びっしょりに濡れていた。
「この階段は予想外だった」
と息を切らす彼に、
「ほら、だから」
と言いたかったけれど、次の瞬間には、早速スーツケースのなかから、本と本棚を取り出して、川辺の砂利石の上に並べ、ポータブル顕微鏡まで出してきて、ご機嫌この上ない彼に、何も言えなかった。
 
ただ、誤算は階段だけではなかった。
川には数名の大学生らしきグループが2、3いて、ギャーギャー大騒ぎをしていた。川はだれかのものではない。みんなの場所である。でも、甲高く何度も耳をつんざくその声は、静かに川音を聴きながら詩集を読みたい私の願いを、決して応援するものではなかった。
 
暑さに弱ったのもあって、次第にわたしは、なんだかモヤモヤイライラしてきていた。そして、ひょっとすると、このモヤモヤの影には、学生たちが楽しそうでうらやましい、という感情があるのではないかと思って、どうせ静かに過ごせないのなら、わたしたちも泳ごうということになった。
わたしのごきげんバロメーターが負の値にふりかけているのを見てとっていたサンタは、
「そうだ。泳ごう。そうしよう!」
と、はりきった。が、読書の準備に盛り上がっていた彼は、水着を忘れてしまってきていた。
 
けれど、ここで、わたしだけを孤独に川に放つことはできないと、彼は、パンツ姿になって先に川に入っていった。形は近けれど、見るからに水に負けないハリを見せる海水パンツと違って、トランクスは、ゆるやかな川の流れにさえ、その存在を流されそうなほど、ヨレヨレと心許なく、それ一枚を身に着けている彼を、なんともかそけき存在に映した。
 
彼は、そんな姿のまま、水の冷たさにテンションを上げ、
「楽しいよ、おいでよ、今日はいい日だよ」
というメッセージをキンキンと、その表情で発していた。
 
無数の細かい白銀のしぶきが舞う。太陽の欠片か、水の跳躍か、人の願い、みたいなものか・・・小さくて儚きものが、その小ささのままの切実さで、世界の大きさを訴えようとしている。
 「だいじょうぶ、世界は寛大で、君は祝福されていて、しあわせだ」
 
昔の雨乞いというのは、こういう感じだったのだろうか。押し寄せる不幸めいた流れに抗って、懇願するような、圧倒するような、心のひらきかたに驚いているうちに、彼が示したとおりの喜びのなかに、呑み込まれていった。
 
いまでも、あのときの彼の必死のパンツ姿を思い出すと、なぜか、どうしようもなく切なくて、泣いてしまいたいような気持ちになる。
「世界が自分を祝福してくれている」
長い間、そのことを信じられず、生きてきていた。
小さい頃に、不遇に遭ったとか、事件に巻き込まれトラウマが残っている、とかではない。何度かイジメにあったことくらいはあるが、いたって普通に、むしろ、多くの愛に囲まれて育った方だと思う。
そのことが、私を苦しめた。
こんなに辛いのに、それを納得させてくれる大きな理由もなければ、わたしの心が歪んでいる、というだけのことになる。
 
 
 
『鼓動』  
 
 
「あなたは、いてもいなくても、どっちでもいいんだよ」
まるでそう言われているかのように
此処に存在していることが
痛い
 
それならば いっそ何もかもやめて
この場から消え去りたい
 
都心の雨に混ざって
灰色の言葉がふりつもってたまる
 
「もういいよ・・・」
 
両手で耳を塞いだら
自分の鼓動が聞こえた
 
ドク ドク ドク
 
 
そうか
わたしは生きている
 
 
 
水たまりを びちゃびちゃ靴ではじいて
静かな空を壊して歩いた
 
何もかも 考えれば考えるほど面倒くさくて
とても私の手に負える出来事のようには思えない 
 
冷たい風が ぶつかっては破れ
背後で散らばって 落ちていく
 
「もう疲れたな・・・」
 
倒れこみ ゆだねた身体からは自分のではない鼓動が聴こえて
 
 
ドク ドク ドク
 
 
それはまるで私の鼓動のように響き
 
 
ドク ドク ドク
 
 
「生きろ」と言っているみたいだった
 
 
 
 
そうだね 
 
本当は消えたいわけではなくて
しっかり生きたいだけなんだ
 
だれもこんな思いをしないように
 
「あなたは世界でとても重要で大切な存在なんだよ」
 
そのことを 伝えられるように
 
そして
同じことばを
自分自身に 言ってあげられるように
二十代後半のある時期、うつ病になって、実家で過ごしていたことがある。
 
おおかた原因は、会社勤めによるものだったけれど、働いていた会社がブラック企業だったわけではなく、社長も、ちょっと次世代を育てたい老婆心があるだけの、いい人だったと思う。ある業界の一時代を築いたアーティストで変わっているところはあったけれど、そのわりには、5時にはみんなお家に帰りましょう、といった健全さを率先してつくっていたし、仕事で私に厳しく言うことがあると、裏では必ず、私の先輩にあたる女性に連絡して、フォローするように言ってくれていた配慮を、わたしは知っていた。
 
いつからか、プロジェクトがうまくいかなくなって、このまま進んでも絶対に良い展開にはならなそうなのに、すでにかけてきた時間やリソースの多さに、戻れもしない、というような状況になった。皆がピリピリしていて、派遣で来ていた人たちも次々やめていって、わたしはなんとか役に立ちたいと思っていたけど、そう思うほどに空回りし、一人でワタワタしていただけだと、いまなら思うのだけど、その時は、どうしようもなかった。何か動くごとにつまずき、いつもどこでも「自分はダメだ」というメッセージが突き刺ってくるように感じていた。
心は血を流せない。そのかわりに、ミーティング中でもかまわず、流れる涙がとまらなくなってしまっていた。
会社に向かう途中の渋谷駅全体が、突然、巨大な灰色のメリーゴーランドになったみたいにぐるんぐるん回る。決して正円を描かない揺れる回転のまんなかで、追いつこうとするほどに、脳が粘質で重い液体となってどろどろする。 
不自然な差のスピードで回転する世界と私の間に、刻々と、深淵が刻まれる。
覗きこまなくても伝わる、その途方ない暗さに、気持ち悪くなって動けない。
「どうなっていってしまうんだろう・・・」と思っているうちに、食事ができなくなって、そろそろ、このままでは生きていけないのかもしれない、と思いはじめた。
 
社長に相談すると、まず、病院に行きなさい。と言われ、はじめて心療内科というところに行った。うつ病と診断され、診断書に従って、わたしはすぐに休職することになり、そのまま退職した。
それまでに流していた大量の涙は、なんだったんだろう、というくらい、そのぺらんとした一枚の診断書は、社会で絶大な力を持ち、驚くほど、サクサクと事態を展開させていった。
なんとか、どうにか踏ん張ってここで頑張らなければいけない、と思い続けていたのが、急に何もしなくてもいいことになって、ほんとうに、ぼんやりとカラッポの箱みたいになって家に帰っていったのを覚えている。 
たしか真夏だったけれど、街中が、真っ白に見えていた。
 
わたしは、しばらく両親のいる実家に戻った。
基本的に、毎日のように微熱があって、身体がだるくて、何もしたくない、という状態だったし、なにしろ、「生きている」ということに対して否定的だったので、ほとんどを布団で寝て過ごした。
父と母に、簡単に事情を説明はしたが、二人は、それについて特別質問してくるでもなく、「ゆっくりしなさい」と、一緒に過ごしてくれた。
数年離れているうちに、ベジタリアンになって一切肉を食べなくなった私に、母は、たぶん苦労しながら、食事を考えてくれていたのだと思う。毎日、ご飯ができたと言われたら、布団から這い出て行き、食べたらまた、部屋に戻っていく。そんな生活だから、一日中、パジャマで過ごしていることもあった。
家族に一人そういう人がいると、気が滅入ってしまいそうなものだけど、父も母も、平気で明るい感じがあった。
 
夕食を食べていると、父親が仕事から帰ってくる。
「ただいま!」
と、満面の笑みを讃えて、わたしに笑いかける。
「まきちゃんがいると思うと、帰ってくるのが楽しみだ」
ということを、ルンルンと話す。
私に向けた励ましというでもなく、抑えきれない喜びが口から漏れ出た、というような、いつも自然な言い方だった。
そういうことに、わたしは、ハッとしたり、感動したり、それによって何かを思い直したり、することはなかった。
いのちの温度が違いすぎると、どんな会話も、どこか遠くから聴こえているような感じになる。
わたしは、いのちのボリュームをギリギリの最小限に設定して、なんとか息の音が消えないように、だけど決して、大きくは聴こえない音量のなかでそっとしていたかった。だから、実は、その時期がどうやって過ぎたか、あんまり記憶がない。
 
でも、この父とのやりとりは、覚えている。
それは、嬉しいとか、ありがたい、とかいう感情ではなく、
「この人は、どうしてこういうことを言うんだろう?」
という疑問の印象が強かったからだ。
 
「今日は何をしてた?」
と訊かれ、
「なんにも」
と答える。だって、一日寝ていて、たまたま、リビングに這い出てきてご飯を食べたあと、そこでもごろんと寝転がってぼんやりしていただけだ。
 
毎日がどうでもいい、おもしろいことなんかなんにもないよ、
あなたが喜ぶような目覚ましい変化はなんにも、起きる兆しさえないよ、
だから期待しないで、世界はこんなもんだし、わたしはこんなもんだよ。
そういうことを含めたかったのかもしれない。
 
父は、心から安心したような、嬉しそうな顔で
「そっか。なにもしてなかったのか。」
と、笑った。
 
そして
「そうやってのんびり、何もしてないくらいのほうが、まきちゃんらしい」
と独り言のように言いながら、またルンルンと食卓についた。
 
「この人は、なにを言っているんだろう」
と、思ったものだ。
どこか侮辱されたようにさえ感じた。
「わたしだって、会社にいるときは、立派に仕事してたんだよ。重要で、意味あることをやっていたんだよ。」
と言いたいような。
 
でも、実際は、わたしが突然いなくなっても、会社は普通に回っていたし、社会の何かが大きく変わることはもちろんなかった。わたしがいた意味など、たいして、そこにはなかったあっけなさを、自分が一番分かっていた。
 
父の言葉は、同時に、なにかわたしがいまは理解できない大事なことを、語りかけてくれているようにも感じられていた。
 
 
いのちの意味は、そんなところにはない。
なにかをしても、なにかになっても、関係ない。
いのちは、そんな小さなものじゃない。
自分の子どもが生まれる前、親戚や友人の子どもと遊ぶのが好きだったわたしは、自分に子どもができたら、さぞ楽しかろう、などと思っていたものだ。
 
実際、子どもを産んで知ったのは、わたしが遊んでいたような子どもは、4,5歳くらいになった子どもで、乳幼児期の赤ちゃん、は、別の生き物のように様子が違っていた。 生まれたての赤ちゃんは、まだ、遊ぶどころか、生きていくための食事や排泄、睡眠さえ一人でできなくて、四六時中、世話されることを必要としていた。
 
よく考えると不思議に思うくらい、赤ちゃんは、何も自分でやろうとする準備をしないままで産まれてくる。口に入ったものを吸う、大きな音を怖がる、不快であれば泣く、くらいしかしないのだ。生きていくための、あとのことを、全部周りの人にやってもらう前提で、ここにくる。
 
この星にいのちを宿し降り立つ大冒険だというのに、あまりに無用意じゃないかと思うくらいだが、つまり、いのちとは、そういうものなのだ。
何もしないで、存在することを、迎えられ、喜ばれる。
そのことを小さい頃に存分に体験し、味わえるよう、何も持たないで、何もできないままで、やってくるのかもしれない。
 
 
あのとき、実家で過ごした時間は、いまとなっては、人生からのプレゼントだったように思えている。
自分が重要だと思って一生懸命やっていたことのなんでもなさと、同時に、なんにもしないで、いる、ということの大きさ、いることを歓迎される感覚を、わけが分かる大人になってから、体験できたのだ。
そのことは、ゆっくりと時間をかけ、いまでも、わたしを育んでくれているように思う。
後編へつづく。
COVER PHOTO BY Rin Takahashi
TEXT BY
兼松 真紀

兼松 真紀

文筆家

広島県出身。京都在住。ゲームデザイナー・シナリオライターを経て、いまは、子育てをしながら、執筆やワークショップなどを行っている。2010年より、サンタのように贈り物を届けたい人を応援し、幸せの循環をおこす「サンタのよめ」をはじめ、現在は、プレゼントを育てて贈る「プレゼント・ガーデン」をつくることを夢見て、庭先の畑と仲間とのコミュニティ農園で自然農の実践と共に、タイニーフォレストガーデン(小さな森庭)づくりをしている。魔法研究家として、主に植物の魔法、ことばの魔法を研究中。

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